大井川通信

大井川あたりの事ども

行橋詣で(11月)

昨日までなんでもなかったけれど、朝起きると身体が重い。今日は行橋に行ってその帰りに夕方折尾で詩歌の読書会に参加する予定だったが、夜の日程をこなすのは無理だろう。行橋ももし向こうに着いたときに体調が悪いのであれば、長崎のお土産だけをおいて帰ってきたらいいと思って家を出た。

行橋の教会で井手師の顔を拝見すると、カステラだけを供えて帰るとも言い出しにくい。拝礼の儀式をすると僕の気も張ってきて、なんとか話もできそうに思えた。今日は寒いからと、教会の広前ではなく、一階の研修室のソファーに招かれる。

僕はまず勤め先の同僚の話をした。25年ほど前に、オウム問題で宗教の評判が悪かったときに、家の宗教である金光教のことを恋人に話すかどうかを相談されたのだ。僕はその当時、荒木美智雄の『宗教の創造力』を読んでいたので、その本の巻頭論文で金光教が高く評価されていることを彼に話して安心させたことがある。

その彼と、近頃昼休みの散歩で一緒になったときに、僕が金光教の教会に通いだしたという話をしたら、その経緯をとても興味深げに聞き入っていた。彼も昔の話を覚えているかわからないけれど、金光教のことはずっと気になっているのだろう。

そんな因縁話のあとで、僕は高橋正雄論を持ち出す。その長男高橋一郎との比較論は、井手師もうなずいていただけたようだ。

ほんとうは、『ゆかいな仏教』での社会学者たちの客観的な仏教論(それがいかに異質な要素の張り合わせであるか)を話題にしたかったのであるが、喉の調子がそれを許さなかった。

長崎旅行がらみで、夫婦仲のことを話すと、丁寧なアドバイスをいただく。それでも1時間半ばかりは教会にいた。かえり名物のラーメンを食べる食欲もなく、はじめて特急で帰途につく。