大井川通信

大井川あたりの事ども

齋藤秀三郎先生のアトリエで議論する

西鉄大橋駅から教えられた49番のバスに乗って、的場2丁目のバス停で降りる。よい雰囲気の鎮守の杜が見えたので神社に参拝して心を落ち着けてから、住宅街の中のアトリエを訪ねる。

ここで、ある誤解が判明する。僕は齋藤先生から電話があって「あなたと話したい」と言われたと思って、アトリエ訪問を申し出たのだった。ところが、電話をした時点では先生は僕のことを思い出したわけではなくて、安部本の献呈のお礼をするために(電話で)「話したい」と思ってかけてくれたようなのだ。

齋藤先生は、1922年生まれの101歳。17年前に亡くなった父親より2歳年長だ。自炊して一人暮らしをしており、お茶とお茶菓子を出してくれる。

アトリエには、キャベツと機械を組み合わせた「文明キャベツ」の絵が何枚か立てかけてある。まだ手直し中とのこと。青々としたキャベツも一個、絵のモデルとして置かれてあった。

機械文明への風刺、その滑稽さが「文明キャベツ」モチーフだと話してくれる。現在の絶望的な状況に対して、美術が美しいものを描くことに逃げないとするなら、笑いがこの世界に踏みとどまる方法だと気づいたのだという。

実は僕の顔を見てもピンとは来なかったようだが、先生から以前に聞いた軍隊の話や、亡くなった安部さんや森崎さんへの評価などかつて話した話題になると、はっきり思い出したと言ってくださった。

敗戦直後故郷の宮﨑で農業をしていたとき、高等学校の先輩の誘いで絵画を学び、マルクス主義の薫陶を受けたという。その後所属した前衛芸術グループ「九州派」では、桜井孝身の「実存主義」の提唱にとまどった。思想とは、物語のようなものだと先生はおっしゃる。流行が過ぎれば消滅するが、人は新しい物語にとびつくのだ。

安部さんが社会思想や運動への批判から、日常の暮らしや家事に価値を見出したという話の流れで、先生はしかし日常というものもぐちゃぐちゃで不安定なものではないかと鋭く突っ込んでくる。あなたは物語を批判し、身近な日常に立ち戻ってそこからいったいどうするのか、と。

僕は覚悟を決めて、金光教研究の話をする。親鸞が好きな先生も、やはり民衆宗教は一段低く見ていたから、それは意外だと正直におっしゃる。僕は人から立派にみられるかっこうのよい物語を身にまとうよりも、人からバカにされるような、しかし優れた物語から学ぶ方がいいと持論を話す。

金光教の核心は、日常のふるまいの中に「人を助ける」という軸をゆるぎなく打ち込むことだ。斎藤先生は、宮沢賢治ペシャワール会中村哲医師のことを例にあげて、目の前の人を助けるという「素朴な」態度の重要性に共感される。

僕は「人を助ける」「人を殺すな」という態度の内側にとどまることは、たしかに素朴に見えるかもしれないけれど、もっとも高度な思想ではないかと話してみる。

この「素朴論議」のところまできて、斎藤先生は、これは非常に重要な点です、この話ができて今日はよかったと、何度もうなずきながらいってくださる。

僕も以前先生と話していて、このセリフを聞いた記憶がよみがえった。先生は頭脳明晰で、きちっとした言葉と論理のやり取りができるだけでなく、議論の水準(深さ)に関する感覚が鋭敏だ。

当たり前のやり取りが徐々に深みに侵入し、岩盤にぶち当たってそこに捨て身でとびかかる瞬間を共有してもらえることは、本当に稀有なことなのだ。

1時間半、じっくり話してアトリエをあとにした。安部さんは、斎藤先生が好きで、作品でなく人物にスポットライトを当てる齋藤先生と語る会みたいなものを玉乃井で企画したこともある。僕の勘違いからの訪問を、安部さんは苦笑しながらも喜んでくれているだろうか。