大井川通信

大井川あたりの事ども

『あるく武蔵野』 横田泰一 1976

子どもの頃の蔵書の復元が完成したと豪語したばかりだが、ここにきて欠けていた重要なピースを手に入れることができた。

50代になって、さも新しく発見したかのように「大井川歩き」を唱えているが、その原型は子どもの頃の武蔵野(多摩)歩きにあった。すっかり忘れていた。

歩くにはガイドが必要だ。先に手に入れた『武蔵野風土記』は父から譲られたもので、僕の最初のガイドブックだったが、署名すら忘れていた。一方、この『あるく武蔵野』は高校生になって自分で購入したもので、行動半径も広がっていたためか、すみずみまで読み込んで、寺社などの訪問に活用した。タイトルもしっかり頭に刻まれている。

とくにこの本片手に埼玉方面へ遠征した思い出がなつかしい。入間の禅宗様建築高倉寺観音堂を訪ねたり、東松山の名所旧跡をたどって延々とあるいたり。

手に入れるのが遅れたのは、新声社という小さな出版社から発行されていてもともと出版部数が少なかったためか(『武蔵野風土記』は朝日新聞社刊)、僕が何回かネットで探したときに状態のいい本の販売がなかったためだ。それですっかりあきらめていた。他の人がボロボロに使い込んだ本を自分の蔵書にするわけにはいかない。

ところが今回ふと検索してみると、オークションでたまたま出品されているものを見つけた。落札して郵送されたものを見ると、新品に近い。

ところが不思議なことに、本の装丁にも、目次や文章をみてもほとんどなつかしさを感じなかったのだ。何十年ぶりかの再会にもかかわらず、なんだろう、この日常感。それほど使い込んだ記憶が生々しく、今に直結しているということだろうか。

もう一つ、子ども時代と言いながら、小中学生の時代と、高校大学の時代とでは大人になってから振り返ったときの感覚に大きな違いがあるのかもしれない。わずか数年の違いとは言え、前者は遠い異世界だが、後者は今につながっているというように。

ところで、この本を手がけた新声社だが、当時の地味な印象とは打って変わって、のちにゲームの攻略本の出版で成功し、ゲームの専門誌の発行で自社ビルを構えるほどに繁盛したらしい。しかし経営方針を誤って倒産。思い出の本の出版社にそんな栄枯盛衰の物語が秘められていることにちょっと驚く。

ともあれ、これで本当に子ども時代の主要な蔵書の復元が完成した。感無量だ。