大井川通信

大井川あたりの事ども

教育の矛盾くらい、いい反面教師はいないのかもしれない

安部公房の評論集『死に急ぐ鯨たち』からの言葉。

満州という植民地で育った安部公房は、教育の建前として「五族協和」というコスモポリタニズムを叩きこまれつつ、日本人の優秀性という矛盾した教義を反復させられた。実際に「内地」から来る日本人は、中国人、朝鮮人に対してひどく横暴だった。しかし、この矛盾からナショナリズムに対する嫌悪感を身につけたという。

僕の知り合いの夫婦で、今年小学校に入学する年齢の自分の子どものために、プライベートスクールみたいなものを開く、という人がいる。どういう内容でどこまでやるのかはわからない。ただ、彼らは、自分の暮らしや仕事を既成の枠にとらわれないでデザインしてきた人たちだから、おそらく自分たちの子どもの教育も自分たちの方法でデザインしたいのだろうと思う。

そう思う気持ちもわかるし、困難がともなう新しいチャレンジはとても大切だと思う。ただ、人間が一筋縄ではいかない複雑な存在であると思うのは、彼らもまた、現行の画一的な教育制度で育つ中で、今の自分たちを作り上げてきた存在であるということだ。もし現行の教育を受けなければ、今の考えや生き方にたどり着くことはなかっただろう。

彼らの子どもたちも、両親の提供する教育環境に反発や嫌悪を感じることから、自分を作っていくことになるのだと思う。理想の実現を求めながら、深い反発や嫌悪を招いてしまうのが教育や子育ての本質なのかもしれない。

 

 

塀のむこう

九太郎にとって、ドアの向こうの世界が、直接動物病院の診察室につながっているのではないか、と想像して面白がったが、これは人間にとっても同じなのではないか、と思い直した。

たとえば、僕のような郊外の住宅街の住人にとって、ドアの向こうには、住宅街を一歩外にでれば、旧集落の田畑やら神社やら里山やらが広がっている。それが本当のドアの向こうだろう。

しかし、かつての僕もそうだったが、自分の足元をかえりみることなく、ドアの向こうは、自動車を介して、都心の職場や繁華街やショッピングモールへと直結しているかのように暮らしているのだ。

一方、前近代の人々は、自分たちが住む土地に境界をもうけて、その外に対しては、特別な想像力を働かせていたのだろう。旧大井村でも、村の境界には、大きなクスが植えられていたり、お地蔵さんがまつられていたりする。

ボーダーレスとなった現代人に、原始の境界の感覚を鋭く突きつけた村野四郎の詩を思い出した。

 

さよならあ と手を振り/すぐそこの塀の角を曲がって/彼は見えなくなったが/もう 二度と帰ってくることはあるまい

塀のむこうに何があるか/どんな世界がはじまるのか/それを知っているものは誰もないだろう/言葉もなければ 要塞もなく/墓もない/ぞっとするような その他国の谷間から/這い上がってきたものなど誰もいない

地球はそこから/深あく欠けているのだ  (「塀のむこう」)

 

 

扉のむこう

九太郎は家の中で飼っているから、家の外の世界に出ることはない。

家族の誰かが外出するときに玄関まで見送りに来たりすることはある。子猫の時は、外に出たがるようなこともあったが、近ごろはそんな素振りを全く見せない。

サッシの窓枠にすわったりして外を眺めることは相変わらず好きで、鳥の鳴き声や車が走る音には敏感に反応している。隣の家の子犬ヒグマちゃんの存在には興味津々だ。それも網戸越しにのぞくことができる世界である。

九太郎が、実際に扉の向こうの世界に出ていくのは、用事があって、ペット用のキャリーケースに入れられる時だけだ。

一番多いのが、動物病院。予防接種を打たれたり、去勢手術をされたり、ろくなことがない。一番最近では、お正月に初体験のペットホテル。周囲が犬ばかりでよほど怖い思いをしたらしく、帰ってしばらく様子がおかしかった。一泊の旅行なら、家で留守番させてあげればよかったというのが家族の結論だ。

今の九太郎にとっては、家の扉の向こう側の世界は、直接、おそろしいペットホテルや動物病院の診察室につながっているのだろう。

どうりで尻込みをして外へ出ようとしないはずだ、と家族で笑った。

 

こんな夢をみた(きょん)

しばらく、あまり夢をみない時期が続いていたのだが、このごろはずいぶんとまた夢をみるようになった。なぜだろう。

近所を散歩していると、誰かの家の敷地に、毛むくじゃらの子犬みたいな動物をみつける。顔に特徴があって、口が縦に割れており、鼻のあたりには落ち葉みたいな模様が並んでいる。毛だらけの顔の上のほうに小さな目がのぞいている。こう書くと不気味なようだが、身体が丸くて小さいので、けっこう愛らしい。

近ごろ、街中に進出してきた「きょん」だろうと納得して、自分の家に戻ると、すでに庭にはその動物の姿が見える。家といっても、今の自分の家とは違って、日本家屋のようで縁側もあり開口部も多い。さっそく「きょん」は家の中に侵入してくる。

捕まえようとすると毛深い身体をくねらせて、鋭い歯でかみついてくる。これでは我が家のペットの猫の九太郎では太刀打ちできない。ケガをしてしまうだろう。

我が家が目をつけられたようで、庭には色違いの「きょん」が何匹もあつまっている。痛い思いをしないとあきらめないだろうと、子どものおもちゃだった空気銃で狙うが、弾があたるとびくっとするものの、すぐになれて向かってくる。

僕は庭に飛び出して、キョンを蹴ろうとするが、サッカーボールを空振りしたときみたいに足が空を切る。そうこうするうちに、家の中に「きょん」が何匹も入り込んできて、収拾がつかなくなる。

 

目を覚ましてから、ネットで調べると、キョン外来生物だがシカの仲間で、夢に出てきた動物とはまるで見かけが違う。都市部で繁殖するハクビシンの方がまだ似ているかもしれない。

 

井亀あおいさんの詩 

『アルゴノオト』の著者井亀あおいさん(1960-1977)の、もう一冊の遺著である『もと居た場所』をネットの古書でようやく手に入れた。今でも求める読者がいるようで、けっこう高い値段だった。文芸部の雑誌に発表したり、ノートに残されたりしていた小説やエッセイや詩などが集められていて、密度の高い手記である『アルゴノオト』よりも読みやすそうだ。

井亀さんについては、昨年このブログでも記事にした。僕とほぼ同世代であること、彼女が自死の場所に選んだのが僕が今住んでいる街だったことがあって、忘れがたい人である。もし僕の人生が、高校生で終わっていたとしたら、どうだろうか。そんな問いを突き付けてくれもする。

50篇あまりある詩をながめていて、「工場地帯」という作品が目についた。当時彼女が住んでいたのは、重工業地帯として全国に名をはせていた街だ。

言葉を直線的にたたみかけるスタイルは、この詩だけに選ばれたもののようで、他にはない。近代の工業の本質を「直線」に見て、それを外界だけでなく「精神」にも「自己」にも発見する内省の力は、とても15歳の作品とは思えない。

 

直線だけで造られた一角であり/壁から窓から凡て直線だけが存在するのであり/曲線さえもが直線で造られた一角であり/出て来る製品は凡て直線であり/その製品の色彩から光沢から凡て直線によって存在するのであり/その製品を造った機械も直線であり/その製品を造った機械を動かす人の手も直線であり/その人の手の動きさえ直線的であり/その人の手を動かす精神もまた直線であり/山の上から見た水銀灯の光は直線であり/凡て直線でしかないのであり/その様にうけとる自己こそ直線的であり/おかげで人間と工場は同調して居られるのである (「工場地帯」 1976.1.19)

  

ooigawa1212.hatenablog.com

 

『建築をつくる者の心』 村野藤吾 なにわ塾叢書 1981

丹下一門の構想力の正史と、それを「どや建築」と捉える裏面史との二冊の本を読んだところで、今度は、彼らの先輩格にあたる筋金入りの建築家である村野藤吾(1891-1984)の本を読んでみる。4回にわたる市民講座で講師を務めた時の後述筆記がその内容だ。

長寿で晩年まで活躍したから、そこまで昔の人ではない印象があるが、実は芥川龍之介と同世代で、丹下健三よりも20歳以上年長だ。すでに89歳での語りだが、経験に裏打ちされたいい意味での頑固さとともに、明晰で柔軟な思考がうかがえてうならされる。

「99%関係者の言うこと聞かなければいけない。ただそれでもね、1%ぐらい自分が建築に残って行く。どんなに詰めてみたところが、村野に頼んだ以上は村野が必ず残る」

ここが、オリジナリティを標榜する現代の「表現建築家」との決定的な違いだろう。しかし、この1%において、かえって村野らしさははっきりと感じられる。奇抜な形状というより、温かみや魅力があるデザインやディテールや質感において。

僕の住む県は村野とかかわりが深く彼の作品が比較的多く残されているが、近年取り壊されるケースも多くなっている。実は地元のフィールド内にも、村野が設計した小さなガソリンスタンドがあったが、昨年解体されてしまった。

本の中では、設計の技術的なコツや工夫についても話している。設計のトレーニング方法の「種明かし」として、自分が面白いと直感したものは、雑誌や新聞の記事や写真でも、石ころでも葉っぱでも自分の手元にため込んでおいて、繰り返しながめたり、メモを取ったりしておく、という話が面白かった。建築に限らず、モノをつくり表現する者にとっての共通の心がけかもしれない。

 

 

BAND-MAIDに激ハマリする

ここ一週間ばかりは、仕事から帰ってきて、ずっとバンドメイドの動画を見続けている。メイド設定の5人組のガールズバンドだ。それで、他のことが一切できていない。たぶん現実逃避なのだろうけど、それだけではない気もする。

ネットの動画もふだんはほとんど見ないし、音楽もまったく聴かない期間が続いたりする。でもたまにこういうことが起きる。

10年以上前、Perfumeの動画をあさっていたことがあった。5年位まえにも、ベビーメタルの動画ばかり見ていたことがあった。

バンドメイドは、海外での評価が高いから、ライブ会場でのファンカムの動画をたくさん見ることができる。小さな会場で、欧米の男たちを熱狂させている姿を見ると、思わずカタルシスを感じてしまう。僕の根底に欧米コンプレックスがあるのだろう。

音楽のことはまるでわからないが、楽曲がいいのはまちがいない。僕の乏しい音楽的な教養在庫とも共鳴するところが大きい。動画につけられた英語のコメントをみても往年のロックファンの熱い言葉にあふれている。

演奏技術の高さということも、僕にはとても判断できない。ただステージでのバンドの姿が格段に魅力的であるのはまちがいない。ステージを降りると、驚くほどごく普通の女性たちだ。自分たちのアイデアでバンドをつくり、自分たちの楽曲を、自分たちの技術で魅せることが、格別なステージを作り上げているのだろう。しかし、たぶんそれだけではない、プラスアルファの何かがきっとあるのだろう。

そんなことを考えたり、考えなかったりしながら、とにかくずっと彼女たちの動画を見続けていた。ふと我に返って、僕も自分でできることを、やるべきことを、精いっぱいやらなければいけないと、思い直す。

 

九太郎の誕生日

今日は、九太郎の満一歳の誕生日。

猫の誕生日がなぜわかるかというと、ブリーダーの店で生まれた猫だからだ。だから両親もわかっていて、父親のマイケルとも母親のつばきちゃんとも、何度か会っている。種類は、手足の短いマンチカンだ。

一年前までは猫を飼うことを考えてもいなかったから、ペットの事情は詳しくはないけれども、なんとなくブリーダーやペットショップというシステムには問題が多く、そこで愛玩用に特別に育てられた種類の猫を買うということが、そんなにほめられたことではないことにはうすうす気づいていた。

ただ、迷いネコの八ちゃんがてんかんで亡くなって、妻がさみしいからと猫に会いに行ったペットショップに猫が一匹もいなかったため、ネットで探した近場の店がたまたまブリーダーで、そこで出会った生後二か月の九太郎が、たまたま八ちゃんとそっくりの顔をしていたのだ。

いったん店を出て、近くでパスタを食べながら二人で作戦会議を開いたが、僕はもう九太郎を家に連れてかえる決心をしていた。八ちゃんと暮らして、神経質なところもある妻には元気のいい猫との同居は無理なことに気づかされたが、九太郎はお店の人が驚くほどおとなしくのんびり屋の猫だったのだ。

猫のことにかぎらないけれども、世の中には、本当はこうした方がより良いということがたくさんある。もちろん、僕も、良いと思うことを意識的に選択したり、人にすすめたりすることもある。様々な情報に耳を閉ざして、自分本位に生きることに開き直るのがいいとは思わない。

ただ、さまざまな種類の正しさの基準を、生活の中に持ち込むことには際限がないし、声高に一つの正義を主張する人が、目立たない大切なものを踏みつけにしていることだってあるかもしれない。

九太郎も好きでブリーダーのもとに生まれてきたわけではないだろう。もう家族になってしまった以上、あとは九太郎の気持ちを大切にして、いっしょにていねいに暮らしていくことが何より大切だろうと思う。そんな暮らしの内実は、外からはまったく見えない、評価されることのない部分だ。

九太郎の誕生日に、小さな猫用のケーキを買ってきて、家族で祝った。九太郎にはありがた迷惑かもしれないが、とにかく魚肉が成分だから美味しかったとは思う。

 

 

『非常識な建築業界』 森山高至 光文社新書 2016

先日読んだの『丹下健三』(豊川斎赫著)は、丹下健三とその弟子の有名建築家たちの構想力と作品を、戦後建築史として肯定的に描きだしたものだった。

今回の本は、いわばその裏面史ともいうべきもので、彼らの仕事を身もふたもなくぶった切るものとなっている。門外漢にとっては、両方を知ることが有意義で必要なことだと思えた。

著者は、「周囲の環境とまったく調和しない、それ単体での成立を目指す彫刻のような建築を設計する」建築家を、自身の造語で「表現建築家」と呼び、彼らがつくる威圧的な「どや顔」をした建築を、「どや建築」と呼ぶ。その筆頭に磯崎新(1981-)を名指しするなど、実に大胆で痛快でもある。

それだけでなく、建築教育の在り方や、コンペなど業界の実際を具体的に説明し、どや建築に現れる建築家のオリジナリティ信仰や、業界基準でのかっこいい建築がもてはやされるメカニズムをえぐりだす。

さらには、ゼネコンが牛耳る建設現場のシステムが、近年の産業構造の変化を受けてうまく機能しなくなっていることを指摘する。

生々しい事実が多く示されていて、地に足をつけて建築と向き合う上でとても役に立つ本だった。

 

優しい気持ちと車間距離

ロックミュージシャン佐野元春(1956-)の言葉。佐野元春は、独特のキャラクターのためにテレビのバラエティ番組に呼ばれることがある。久しぶりのテレビ出演で、自身の運転中のいら立ちを抑えるために自ら作った標語を披露したものの、あまりに平凡な内容だったために、共演者の笑いを誘っていた。

佐野元春は、僕が初期からアルバムを聞き続けている唯一のミュージシャンだ。もっとも本格的に意識したのは、1980年のデビューからかなり遅れて86年くらいからだった。ロックスターとして、その人柄や才能をリスペクトしてきたが、正直なところ、その音楽や歌詞や歌唱には、ちょっと微妙なところがある。人間的にも、すこしわからないところがある。しかし、それが彼の魅力なのだろう。

 

街角から街角に神がいる/清らかな瞳が燃えている/光の中に/闇の中に/誰かが君のドアを叩いている (「誰かが君のドアを叩いている」 冒頭部分   1992) 

 

もしも君が気高い孤独なら/その魂を空に広げて/雲の切れ間に/君のイナズマを/遠く遠く解き放たってやれ (「君が気高い孤独なら」 冒頭部分  2007)

 

それぞれとても好きな曲だが、詩だけを見ると、言葉の断片が新たなイメージを結ぶことなく連なっている感じで、ちょっととらえどころがない。

今回の標語も、本気とも冗談ともつかない佐野さんらしい発言と思って軽く聞き流していた。ところが、今日、雨の中、混雑する市街地を運転して、この標語が実用的で機能的に作られていることに気づいて驚いた。

割り込みされると、思わずムッとする。そのむかつきをターゲットにして、まずは「優しい気持ち」を発動させる。すると、むかつきのために発作的に詰めてしまった「車間距離」に意識が向いて、それを広げようという行動がうながされるのだ。

いくら車間距離が大切だとわかっていても、いらだった時にはそれを忘れてしまう。まずはアンガーコントロール、しかるのちに交通ルールというわけだ。

さすが、佐野元春。やはりただものではない。