大井川通信

大井川あたりの事ども

井亀あおいさんのこと

10年前に小山田咲子さんの本を読書会でレポートした時に、夭折した若者の日記で公刊されているものを探して読んでみた。有名な高野悦子の本は再読だったけれども、初読の時と同じく、平凡であまり魅力が感じられなかった。

驚いたのは、それほど世間には知られていない井亀あおいさん(1960-1977)の手記である。彼女は高校2年の時17歳で自死しているが、中学時代から亡くなる直前まで、アルゴノオトと名づけた12冊のノートを書き続け、その一部が家族によって出版された。

「この宇宙船を私であると考えるとよい。通常私は、どのブラインドも閉め切ったまま宇宙空間に浮かんでいる。ある方向に何かのけはいを認めたとなるとすぐその方向のブラインドをあげてその方向にとんでいく。そしてそれはだいたい私の誤りなのだ・・・対象は現実の人間のこともあれば虚構の人間のこともあり、虚構に近い現実の人間のこともある。ときおり自分の姿が映る。するとあらゆることは滑稽であり茶番になる。そして何時までも空間に浮かんだままで一生を終える。(1976.10.9)」

井亀さんの生きたのは、文学や芸術に親しむ思春期の少女の孤立した内面世界で、そのこと自体は目新しいものではない。驚くべきなのは、そんな自己を視る目の正確さであり、自己や芸術を語る言葉の厳格さである。僕も学生の頃に、ノートに立てこもるように生活していた一時期があったので、彼女の日記には身につまされると同時に、及び難さを感じてしまう。

今回拾い読みして、小説を書いていた井亀さんが、モームを「最愛の師」と慕っていたことにあらためて気づく。僕がモームの魅力を知ったのはごく最近のことだ。そのモームの『女ごころ』を手にした彼女が飛び降りた団地のビルは、僕の家から歩いて10分ばかりのところにある。夜の散歩コースなので、外廊下に照明がついた高層棟を、まるで彼女の巨大な墓碑のように見上げるのが僕の習慣になっている。

  

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