今日は快晴に近いから、夕方でも明るい。午後6時半近くに和歌神社へ向かうため、秀円寺裏の林の道を下りていると、遠くからヒメハルゼミの合唱が聞こえる。しかし近づくと、鳴き止んでいた。再び鳴き始めたのは6時50分。曇りの夕方より本格的な鳴き始めは遅いようだ。ヒメハルゼミは、鳴き始めがかっこいい。静寂から、森全体に声が響き渡るまで、一気に加速する。
和歌神社の境内は、木の塀で丸く囲まれており、社殿の裏は、すり鉢状の斜面になっている。そこにぐるりと広葉樹の大木が取り囲んで、参拝者を見下ろしているのだ。そこから分厚い声の大波がおりてくる。僕はようやく理解する。ここはヒメハルゼミが主役のコロシアム(円形劇場)なのだ。
僕は、自分の住む住宅街からセミの声が聞きたくなった。竹藪の脇に残されたケモノミチを上って、住宅街に戻る。和歌神社の裏山の脇に突き出した区画があって、そこでは金網ごしに森を見ることができる。もちろん、ヒメハルゼミの声も響いている。
すると、目の前の低い木の細い横枝に、小さなセミらしき姿がある。昨年、姿がよく似たハルゼミが松の横枝にはりついているのを見つけた経験値が活きたのだ。知らなかったら、大型のアブくらいにしか思えないだろう。胴体が長いからオスだろう。ほんの数メートル先で鳴く姿を観察できたのは幸いだった。
遠くから波のように仲間の声が迫ってくる。その声に包まれると、たまらず彼も声をあげる。ジリジリから始まり、ミーン・ジリジリというフレーズを7,8回から10数回繰り返す。表現しにくいが、最後にはミーンというフレイズがジリジリの中に埋没するみたいになって、あとはジリジリだけが続いて、鳴き止む。一匹が一回に鳴く時間はそれほど長くない。声量も飛びぬけて大きいわけではない。続けて鳴く場合もあれば、休んでしまう場合もある。
今日わかったことは、ヒメハルゼミの鳴き声の秘密は、相当多い数の個体の合唱にある、ということだ。小さなスピーカーが、あちこちの枝に分散して設置されている感じだろう。それがサラウンドの音響のように、うねるような分厚い深みのある音を増幅させるのだ。
僕がセミの声を聞いていると、すぐ前の家の親子が自動車で帰ってくる。自治会の役員で顔なじみのお母さんだったので、気軽に「珍しいセミがいますよ」を声をかける。毎年この時期に鳴くセミのことには気づいていたらしい。
僕は家に戻りながら、僕らの住宅街のことを、ヒメハルゼミの鳴く丘とでも命名したい気持ちにかられていた。