鎮守の杜が無残に伐採されてしまってから、和歌神社にはなかなか足が向かなかった。本当なら6月の終わりにはヒメハルゼミの合唱を聞きにいっていたところだ。ただ、このままシーズンが過ぎてしまうと、今年がどんな状況だったのか確認できない。
それで今日、重い腰をあげて、職場からの帰宅時に一つ先の停留所で降りて、和歌神社に向かう。家から歩くことを大原則にしている大井川歩きだが、こんなふうにバスで訪れると土地がまた違った風に見えるから不思議だ。
バス停が、集落ごとに設置されているということにも気づく。当たり前のようだが、人々の暮らしとバスが結びついている証拠だろう。
僕が住む里山跡の住宅街が「大井台」、十力などの集落のある「大井」、田んぼを通り越して反対側の集落「桝丸」、そのあとバスは大井を抜けていく。長い間庶民の足だったバスを利用して土地に入るのも、古い体験や記憶の再現といえるかもしれない。
和歌神社に近づくと、心配していたヒメハルゼミの鳴き声が聞こえてきた。ギーコ、ギーコと鳴き出す声に周囲がつられて、大勢での合唱となり、やがて小さくなっていく。去年までの音量の半分以下かもしれないけれど、小さく切り縮められた森の中で、ひとまずこの夏もヒメハルゼミの命がつながっていることがわかって嬉しかった。
神社の池をのぞいている小さな子供とお母さんがいたので、さっそく声をかけてヒメハルゼミの解説をする。余計なことかもしれなかったが、元気なセミたちの声に、僕も少しうかれていたようだ。