大井川通信

大井川あたりの事ども

『田宮虎彦作品集第3巻』を読む

第5巻では、人物の一生をコンパクトに折りたたんで提示する技に冴えを見せていた田宮だが、この巻では、作者に近い人物の学生時代の日々を、引き延ばしてスローモーションで見せるかのように描いている。

私小説風の連作短編は、前作の設定を再度説明しながら始まるので、ちょっと冗長な感じがする。クライマックスの『足摺岬』だけは、畳み重ねるようなリズムで歴史を描いており、密度の違いを見せつける。

卯の花くたし』は、京都の高等学校生である主人公の貧しい暮らしを描き、『鹿ケ谷』では、親切な下宿の奥さんの悲劇が添えられる。『比叡おろし』は同宿する社会人の細井さんにも励まされながら、大学進学の気持ちを奮い立たせる顛末を描いて読み応えがある。やっと東京の大学に進んだ主人公の苦学生活と、同宿の中学生や病んだ少年との交流を描く『絵本』。母の訃報に接して混乱し、また勉強に打ち込む友人の精神の崩壊を目の当たりにする『菊坂』。そしてなんといっても名作『足摺岬』のいぶし銀の輝きは、何度読み返しても色あせることはない。

昭和初めの大学生活で、法学生が民法学の我妻栄の学説を勉強したり、成績の「優」の数が就職に有利に働くなどのエピソードは、その半世紀後の僕の学生時代と変わらないのが面白かった。

じつはここまでの連作は、旺文社文庫の収録作品とまったく同じで、僕もこの並びで読んだことがあった。作品集では、別に三つの短編が付け加わり、主人公を嫌う父親の姿やその心理にスポットが当てられている。戦争中に書かれた『七つの荒海』は、父親の書簡から権威主義的で尊大な性格が伺われて興味深い。