大井川通信

大井川あたりの事ども

『ふしぎなキリスト教』 橋爪大三郎・大澤真幸 2011

橋爪も大澤も僕が若いころからの社会学のスターだが、近年出版される入門書の類はどうも感心できないことが多かった。しかし、該博な知識と視野の広さが要求される分野では、二人から学ばなければいけないことが多いと、『ゆかいな仏教』に引き続いて気づかされる。

出版当時話題になり、新書大賞を取っていたのに購入していなかった。やはり、キリスト教というものが自分から遠く感じられていたからだろう。

仏教論と同様に、専門家がスルーしてしまうようなところにも突っ込みをいれてくれるし、何より根本の前提に対しても容赦はないので、キリスト教の複雑な成り立ちやあいまいさな部分も明らかになる。

ユダヤ教キリスト教イスラム教と続く一神教の発想の核心を教えてくれるし、その中で「神の子」キリストという特異な存在を信じるキリスト教の不思議さが鮮やかに示される。ものすごい解像度の高いレンズで宗教現象をのぞいている気になる。軽い読み物のようだが、一級の知識人の宗教に対する見解が縦横に語られる本書はとても貴重なものといえそうだ。

僕自身は、近頃金光教について考え続けているので、その理解を深める手がかりがあちこちにあるような気がする。たとえば、金光教も、一般の神道と比較すると「天地金乃神」のみを拝む一神教的な性格が強いのだが、この本を読むと安易にそう例えてはいけないことがわかる。

西洋の一神教では、自然はすべて神の被造物であるが、そこにはもはや神はいない。だから神の似姿である人間の理性が、それをいかに分析、改変、利用・破壊しつくそうとも全く構わないことになる。しかし、金光教では、自然は神の「差し向け」であるとともに神そのものであって、神の抜け殻なのではない。

あらためて、世界の近代化を推し進める原動力となったキリスト教というものとの距離とその理解の難しさということを感じる。キリスト教との類縁性の高いヨーロッパの哲学も、すんなりわからないほうがむしろ正解なのだろう。

 

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