大井川通信

大井川あたりの事ども

手帳を紛失する(「置忘れ対策」について)

もう10年以上前のことだが、いろいろな場所にモノを置き忘れることが続いた。たまたま以前に大きな記憶障害を経験したことがあって、記憶についてはある程度勉強していた。正確な名称は忘れたが、短期記憶の中で、自分のふるまいを無意識に短時間保持して置く機能が、老化によってまず低下する部分だという。

高齢になって物忘れが起きるのはこのためだ。むしろ老化の自然過程だから心配することはない。ただし置忘れによる実害は大きいから、対処する必要がある。

それには、置忘れ発生のメカニズムを具体的に自覚する必要がある。

まず当該のモノを、自分の手元から離れたある場所に置く、という動作が起点だ。ほとんど無意識にその動作をしてしまうのは、その場所が自分の注意の範囲内であり、いわば縄張りの中なのであって、そのモノを手放した事情が終了したら、無意識にそれを回収できるという信頼とその実績があるからだろう。

しかし記憶力の低下によって、この場所なら間違いなく回収できるだろうという期待にこたえられなくなって、そのモノを置き去りにしてしまうという事態が頻発してしまうのだ。

であれば、自分の所有物を自分の手元から物理的に離れた場所に置いてしまうというそれまでの習慣を変更すればいい。物理的つながっていれば、どんなにそのモノのことを忘れていても置き忘れることはない。

たとえば、ベンチに座っているとき、バッグから手を離す必要が生じた場合、隣の席に置いてしまうとそれを忘れて席を立ってしまう恐れがある。自分の膝の上にバッグをおけば(常にモノとの接触を維持しておけば)立ち上がるときに否応なくバッグの存在を思い出すことになる。

家の中でのモノの置忘れは、モノを置く場所を一定にしておくということで解決する。つまり、定位置と物理的接触が家の内外での二つのキーワードだ。

実は前者の方は片づけが苦手な僕は遵守できずに今でも置忘れに悩まされるが、所詮は家の中のことなので最終的な実害はない。後者については、自分の手元から一瞬でも離れたものは永遠に失われる(地獄の窯に落ちる?)という恐怖のイメージトレーニングをすることで、なんとか置忘れを回避してきた。

ところが、今回、自分のあらゆる情報を書き込んだ大切なノート型手帳を紛失するという最悪の事態が起きてしまった。夜更けて手帳がないことに気づき、一日の行動を必死に振り返ることになったのだ。

午前中は、やや遠方のファミレスで勉強。いったん帰宅した後、節分帰りの妻と次男を駅から家まで送って、そのまま一人で近所のショッピングモールへ。カフェが満席だったので休憩用のソファーで本を読んだ。最後に手帳を開いたのは、そのソファーの上だった気がする。念のためファミレスに電話をしたが忘れ物は届いていなかった。

ここで、はたと思い当たる。物理的接触原則の例外は、カフェやファミレスでの勉強の場面だ。そこでは本やノートや文具などをある程度拡げざるをえない。しかし、退席の時にはそれらを残らずカバンに収めるというタイミングがあるから、二度見するくらい慎重に確認すれば置き忘れることはない。

今回の盲点は、ショッピングモール店内のカフェの近くにあるソファーで勉強をしてしまったというレアケースだったことにある。カフェ気分で書籍などを広げたものの、立ち上がるときはただのソファーの感覚に戻っていてカフェでのように手荷物の確認に気が回らなかった。今年の明るいグレーの手帳の表紙の色がソファーの生地に似ているという不運も重なった。

翌朝一番でショッピングモールに行くと、そのソファーの上には何も残っていなかったが、サービスセンターにはボールペンと一緒に手帳が届いていた。お客さんがどなたか持ってきてくれたそう。見知らぬ人の好意が本当にうれしかった。

 

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