八興社は、僕の実家からワンブロック、50メートルばかり離れたところにある小さなパン屋だった。僕たちは「はっこうしゃ」と呼んでいたが、正式には「はちこうしゃ」だったろう。
別府の温泉街育ちの吉田さんと話していて、新興住宅街に育った僕には、典型的な駄菓子屋体験がないことに気づいたのは最近のことだ。パン屋や文房具屋やおもちゃ屋などを兼用して、間に合わせていたのだ。
その中でも実家に一番近く、気軽に買い物に行けた八興社は、幼年期の僕にとっては特別な場所だった。八興社は売り場面積こそ小さかったが、奥には大き目のパン工場があって、自家製のパンを製造していた。ガラスの蓋を上にもちあげる木箱で駄菓子も売られていたと思う。小学校に上がると、給食のパンが八興社で作られていると知ることになり、低学年の時には、授業でパン工場見学に出かけたりもした。
お店の並びには、古い木造二階建ての旅館のような寮が続いており、そこが刑期を終えた人たちを受け入れる場所で、工場のパンも彼らによって作られていることをいつの間にか知るようになった。親が教えてくれたのだろう。寮の隣にはタクシー会社の事務所があって、道の向かいは普通の住宅街で、小中学校での同級生の家も並んでいた。ぼくにとっては、家の近所のなんの変哲もない当たり前の街角に過ぎなかった。
東京を離れた後、読書好きの姉から、吉村昭のドキュメンタリー『破獄』の主人公の入所した場所として八興社が出てくると聞いて、なるほどそんなに有名な施設だったのか、ぜひ読んでみたいと誇らしく思えたのを覚えている。さっそく購入したが、まだ読んではいない。
その後とくに八興社を思い出すこともなくなっていた。ずいぶん前に八興社も店を閉めてしまい、実家に戻ったときも、自販機が並ぶだけの元店舗の前を特別に感慨を覚えるでもなく往復するようになった。