大井川通信

大井川あたりの事ども

『日本人と神』 佐藤弘夫 2021

中公新書の『宗教と日本人』に続き、近年の積読新書から日本の宗教をテーマにした本を手に取る。こちらは講談社現代新書。前書が近年の宗教現象を軽快かつ鮮やかに読み解いた本ならば、この書は、日本の数千年に渡る宗教思想の歴史の根幹をつかまえようとするもので、きわめて簡潔に整理して書かれているものの実に重厚な内容で、読み終えるのに時間がかかってしまった。

著者は、神や仏など個別の宗教のことを扱おうとはしない。神仏に代表される超越者の生誕からその変化にいたる「聖性のコスモロジー」の歴史を問題にしようとしているのだ。

著者の議論をざっくり追おう。聖性はまず、自然現象やそれを代理する具体的なものの背後に芽生え、そこから抽象化がはじまる。古代になると、「清浄性」をパワーの根底において外部から人知の及ばぬ霊異を引き起こすものとなった。この場合も聖性は人間と同じ世界に属している。

「聖性/人間」 ・・・古代

ところが中世になると不可視の他界イメージが膨張し、他界に住する絶対的存在が救済者としてのリアリティを増す。一方それに対応して人間の内なる聖性が発見され、中世の後期になると、前者が希薄化しむしろ後者の要素に比重がかかっていく。

「他界=聖性」/「人間(=聖性)」 ・・・中世

近世では、「彼岸の根源神を背後にもたない列島の神仏には、もはや人々を悟りに導いたり、遠い世界に送り出したりする力はなかった。仏も神も、人々のこまごまとした現世の願いに丹念に応えていくことに、新たな生業の道を見出していく」(156頁)

死者の救済は仏の仕事ではなくなり、親族の仕事になったという指摘は鋭い。縁者との交流によって、死者は「御先祖様」という神のステージにまで上昇する

「人間=聖性」 ・・・近世

そして人間の内なる「聖性」の発露として、大量のヒトガミを生み出すことになる。近代になると、民衆宗教によるルートを排除して、天皇制国家がヒトガミ創出を独占するようになる。

「現人神/イキガミ」 ・・・近代

この書を読むと、小沢浩が『民衆宗教と国家神道』や『生き神の思想史』において、「生き神 VS 現人神」という図式で近代の金光教の歴史を読み取ろうとしている理由が理解できたような気がした。それだけでなく、金光大神の性格や、「御霊様」の位置づけなど、金光教理解に資することは間違いない。

著者は、このような日本の聖性の歴史の把握は、世界との比較を可能にするものだという。私見になるが、鈴木大拙の「日本的霊性」は鎌倉時代(中世前期)にその完成形を見ているが、この書は「日本的霊性」のその後のダイナミックな変容をとらえたものと言えるかもしれない。

それにしても、と思う。一つの宗派(例えば浄土真宗)の中で考えていると、阿弥陀の本願の問題や、往生が現世なのか来世なのかとの問題、葬式仏教の現状の問題等は、あくまで教義上の、神学上の問題に閉じ込められる。何が正しく何が間違いかの神学論争となる。しかし、ひとたび、この聖性のコスモロジーの文脈でながめてみると、それらは歴史的なパースペクティブの中でそれぞれ必要な位置づけをもつように思えるのだ。

まちがいなく良書で、これからの思索に役立つ本になるだろう。