大井川通信

大井川あたりの事ども

『香椎宮アートプロジェクト』を観る

香椎宮を舞台にした美術展を何年かぶりで観た。

前回の印象と同じく、あるいは今年宗像大社での美術展を観たときと同じように、巨大神社の持つエネルギーに現代の美術家たちの線の細い作品が対抗できていない、というのが全体の印象だった。

例えば新しく作られた都会のビル群や、老朽化した商店街に作品を置くのとはまったく意味が違ってくる。日常を裏返す(非日常化する)のが現代美術の作品の持ち味だろうが、巨大神社自体が強烈な非日常の結界なのだ。

神社の歴史や文脈をなぞろうとする作品は、ことごとく巨大な物語の奔流に飲み込まれてしまっている。かえってそれらとまったく無関係に、その環境の一部を切り取った作品に見るべきものがあったように思う。

神社の裏口近く、末社の隣の暗い林の中に、幼児くらいの大きさのヒトガタが設置されている。ヒトガタ自体は針金で作られた扁平なものだが、赤いヒモでぐるぐる巻きにされて真っ赤な身体となっており、その同じ赤いヒモで両側の木の幹に何重にも縛りつけられている。だから、この幼児を思わせるヒトガタは、林の中で緊縛されているように見えるし、血液のような赤さがいっそう不穏なもの、見てはいけないもののように感じさせるのだ。

ここには、他の作家が思い思いに引用する神社の正史(神功皇后の出兵や香椎の地名の由来、神社と町の発展の歴史)とは無関係に、神社の裏手の杜という場所の普遍的なリアリティが引き出されている。

そこは子どもの遊び場にもなるけれどもふだんひと気がなく、事件に巻き込まれかねない場所なのだ。実際に神隠しにあった子どももいただろう。そんな特別な事件はなくとも、人々は勝手に大人になって幼い日の記憶を神社の林に置き去りにしている。

この赤いヒトガタは、鎮守の杜に置き去りにされた無数の子どもたち(観る者の過去を含む)を白日の下にさらしだすことに成功しており、それゆえのインパクトがある。そう思って感心していた。

ところが、あとでパンフレットを見ると、この作品を制作した高校生作家は、樹木を結び付ける赤いヒモを「運命の糸」に見立てて人間同士のつながりを肯定的に描く意図がをもっていたようだ。そのねらいからしたら明らかに失敗作ということになるだろう。ただし、これも面白いと思った。作家の目的を実現する技量の未熟や経験不足の結果、まったく別の効果を発揮する優れた作品を生み出すことにつながったのだから。

今回、はじめてJR香椎駅から香椎宮までの路地を歩いた。断片化された自然と開発が同居する不思議な道のりで、これこそが一番強度のある空間体験だったと言えるかもしれない。宗像大社の周囲ののんびりと豊かな自然環境とはまったく異質だった。

 

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