大井川通信

大井川あたりの事ども

十力の謎

今ではほとんど使われなくなってしまった村の小字の地名には、不思議なものが多い。いくら眺めても、口でいってみても、よくわからない。地元の小字名で、唯一自分で解明できたと思えるのが、十力(じゅうりき)だ。

大井の中でも古くからある集落で、江戸時代には、「本村」を名乗っていたこともあったようだ。戸数はおそらく十数軒で、力丸姓と中山姓が多い。偶然、力丸の本家のおばあさんから、おそらく力丸家の由来に関係していると思えるお話を聞けたのだ。

力丸家では、十人の山伏のお墓を、先祖まつりのときにみんなでお参りしていたと彼女はいう。たしかに村の納骨堂の前の、お墓らしき場所には、花を供える筒が十個ならんでいる。しかし、他の力丸家のお年寄りに聞いても、それが山伏の墓だと知る人はいない。現在、力丸を名乗る家は、七軒ばかりある。村から出ていく人もいただろうから、もとは十軒でもおかしくない。もし十人の山伏が、それぞれ力丸の姓を名乗ったとするなら、力丸家が十軒あるから、その場所を「十力」と呼ぶようになったと考えられる。これに気づいたときに、身体がふるえるほど興奮した。十力を「重力」と書く地図もあるのだが、そうなったらますます解読は困難になってしまう。

大井に住む敬愛する「ひろちゃん」の娘さんは、子供の頃、村の運動会で地域別に集まったときに、十力という地名が、とても不思議だったそうだ。だから、僕の解釈に、驚き、賛同してくれた。たった一人の調査が、土地の人の共感につながるのが、なによりうれしい。