樹空という言葉はあるのだろうか。ネットで見ると、富士山の近くの公園の名前として出てくるだけだ。
以前、知り合いの画家の山本陽子さんの展覧会に行ったとき、テーマが「樹空」だと教えられたことがある。樹の梢や枝の葉がふれているあたりの空間のことだという説明だった。
その時、僕は、同時に二つの詩を思い出した。そして、できればその詩の写しを彼女に渡したいと思った。ところが、その先の記憶が、切り取られた枝の先みたいにぷっつりと途絶えている。手渡したという記憶もなければ、失念して後悔したという記憶もない。
僕が、樹空という言葉を忘れてしまわないうちに、その詩を引用しておこう。一つは、シュペルヴィエルのたぶん有名な「森の奥」という詩。
昼も小暗い森の奥の/大木を伐り倒す。/横たわる幹のかたわら/垂直な空虚が/円柱の形に残り/わなないて立つ。
そびえ立つこの思い出の高いあたり/探せ、小鳥らよ、探せ、/そのわななきが止まぬ間に/かつて君らの巣であった場所を。