大井川通信

大井川あたりの事ども

新開景子さんのあしあと

2年前に近所のマンモス団地で行われた連続講座に通った。題して、団地再生塾。建設して半世紀近くなる団地には、高齢化や空き家の増加等の問題がある。それを住民主体で、様々な手法や実践事例を学びながら考えようという講座だった。

中心人物が大学の建築学部の先生で、街づくりの中心が、社会教育にかかわる人々から、街並みや建築、起業といったハード面やマーケットに通じた人々の移っていることを、遅ればせに知ることになった。

講座の各回は、外部からの講師の話をきっかけに、ワークショップ方式で、テーブルごとに長丁場の議論をした。僕は、近隣のもっと小規模で新しい開発団地で暮らしていて、大井川歩きなるものを実践している。その経験からの話をした。

開発団地は、旧集落の里山だった場所だ。大規模な団地の中で生活していると見えにくいけれども、街には境界があり、そこで旧集落と接している。団地の再生は、旧集落との関係を手がかりにできるのではないか。

半年間の連続講座が終わると、駅の反対側の開発団地との関係は、自然と疎遠になっていたけれども、ごく最近、その時熱心に参加していた若いデザイナーが、一年ばかりまえに亡くなったという話を耳にした。

彼女も毎回の参加者だったから、同じテーブルで議論することが何度かあった。街おこしのグッズのキャラクターのデザインの参考になればと思って、地元の山伏の資料と、手作り絵本「大井始まった山伏」のコピーを渡したこともあった。

今思うと、昨年、玉乃井のひと箱古本市に出店している彼女とひさしぶりに言葉を交わしたのが、お別れだったことになる。

ちょうど彼女をしのぶ作品展が、隣町のギャラリーで行われていたので、夫婦で観にでかけた。「新開景子のあしあと展」という展覧会の案内カードの端には、よく見ると、小さな足跡が途切れることなく続いている。それに気づいて、妻が何を思ったか「だんなさんに愛されていたんだね」という。

会場で、笑顔で迎えてくれただんなさんの表情をみて、なるほどそうだと僕も思った。