大井川通信

大井川あたりの事ども

『西光万吉』 師岡佑行 1992

「水平社宣言」の起草者として名高い西光万吉(1895-1970)の評伝。その後、部落解放運動を離れ、転向して国家主義者になるなどぱっとしない印象だが、本書を読むとそのイメージが間違いなのがわかる。

たしかに水平社の立ち上げと宣言の起草は立派だが、当時は青年期特有の疾風怒濤の中にあった。5年近い投獄ののち、国家社会主義者へ「転向」してからは、日本神話に基づく「高次的タカマノハラの展開」を主唱し、私有財産を否定してこれを「皇産」へ奉還することで搾取と権力のない社会を実現するための運動に全力で奔走する。

敗戦後は、「和栄政策」を主張して、憲法の平和主義に基づく非暴力の「和栄隊」を組織して世界に貢献することを亡くなるまで主張し続けた。被差別者の解放から、国民同胞の解放そして世界人類の解放へ。西光は思索と運動の歩みを止めることはなかった。晩年の講演会では、水平社宣言の話を望む聴衆の期待に反して、西光は過去を振り返らず、和栄施策について熱く語ることしかしなかったという。

西光万吉の生涯に視点を合わせると、水平社宣言ですらその初期の一エピソードであるかのように見えてしまう。左翼運動に権威のあった時代には、西光の「高次的タカマノハラの展開」や「和栄政策」は荒唐無稽で空想的なものと評価されたのかもしれないが、批判的運動の多くが失墜し、むき出しのグローバリズム国家主義が露わな現代においては、西光の真正面からの「正論」がむしろ新鮮に感じられもする。

もう20年前になるが、著者の師岡先生には、ある勉強会の席上で何度かご一緒した。その時サインしていただいた本をようやく読むことができて、ほっとしている。