読書会の課題図書で読む。
小学生の頃、子ども用の少年少女名作文学シリーズで、とても面白く読んだ小説だ。50年ぶりに読んで、ちょっと期待外れの面もあった。当時の本の子ども向けの要約や書き直しが上手だったのだろうが、もともと笑いのセンスが子どもに向いているのかもしれない。いくつか、エピソードをひろってみる。
まず、ポジャー叔父さんのエピソード(中公文庫36~41頁)
「家のなかの者が誰ひとり、おれの上着がどこにあるか覚えていないのか?こういう馬鹿者ぞろいには今まで会ったことがない・・・六人がかりで、たった五分前におれがぬいだ上着を見つけることができないとは」
歳を取ると、何気なく置いたものの場所が思い出せなくなる。これは実感。自分が忘れたことを棚に上げて、周囲に当たり散らす身勝手さが、とても面白い。声を出して笑えたのは、ここだけだ。
次に、船の上にテントを張るときのドタバタ劇(中公文庫154~156頁)
苦労して取り付けたものが間違いだったり、天幕にぐるぐる巻きになって死にそうになったり。不器用な人間には、思い当たる節があっておかしかった。パイナップルの缶詰事件(198~200頁)など同じパターンが多い。
最後に、釣り自慢のエピソード(中公文庫281~286頁)
ガラスケースの中の巨大マスを釣ったと証言する人間が次々に現れて、最後に「正直者」の酒場の主人の証言で解決したと思いきや、模造品だったというオチが鮮やか。
この本の笑いのパターンは、人間の身勝手さ、いい加減さ、不器用さ、ええかっこしいなど、およそダメでマイナスな部分を極端に描いて、それが日常の風景や秩序を突き破る面白さをねらう、というものだ。
今の時代の笑いは、マイナス一辺倒ではなく、プラスの側面も使って上げたり下げたりしながら、もっと小刻みに落差をつくる方向にむいている気がする。相手を一方的に落とすのは忌避される傾向にあるのだ。笑いの点でやや物足りなさを感じるのは、そのあたりかもしれない。
しかし、この小説を、ユーモア小説としてのみくくることはできないだろう。テムズ川沿いの観光や歴史の案内にも筆が費やされており、今でいう観光ガイド本の役割も果たしている。小説の様々な可能性を感じさせてくれる作品だ。