大井川通信

大井川あたりの事ども

衰えのステージ

今は、少しづつ老化し、衰えていくプロセスを生きている。それは当然のことで受け入れるしかない。子どもの頃や若い時に、成長のプロセスの中にあって、その変化を受け入れてきたのとまったく同じことだ。

ただし社会生活を送り仕事をしている以上、衰えてできなくなったことをそのまま放置することはできない。老眼になってメガネをかけるみたいに、衰えた部分を補強し、それを補う手立てをとることが不可欠となる。

たとえば、50歳前後から、記憶の中でも人名が覚えにくく、また咄嗟にでなくなってきた。そうすると、毎朝名簿のおさらいをしたり、また多くの人に会う場所にでる場合には必ず関係者の名簿を内ポケットに忍ばせるようになった。

このためには、衰えたことで何が怪しくなったのかを自覚する必要がある。ここまでは大丈夫だけれども、ここから先に不安があるという線引きができないと、重点的な補強作業を行うことができないからだ。

ところが、老化のプロセスでやっかいなのは、今まで大丈夫と思っていたことも、いつのまにかできなくなるということがあって、そんなときには万全の対策も水の泡になってしまうのだ。

先日こんなことがあった。職場のメンバー全員にヒアリングをして個別の資料を渡すという仕事があって、こんな場合のミスを想定して自分なりに対策をとっていた。ありうるのは資料の中身を取り違えるということだ。

ところが実際に起きたことは、あるメンバーにヒアリングだけして資料を渡し漏らすという意外な出来事だった。これには我ながらびっくりした。ヒアリング済みのメンバーに渡したはずの資料が手元に残っているので、てっきり間違えて別人の資料を渡してしまったのかとあせったら、そもそも渡さずにヒアリングを終えていたというのだから。

そこまで衰えてしまったというなら、次からはそこまでの凡ミスを想定して、チェック項目を増やさないといけない。もっとも、これは老化のためというよりも、僕の生来のおっちょこちょいの発露のような気もするのだが。