大井川通信

大井川あたりの事ども

さあ、お湯があるよ

僕の実家では、父親が勤めに出るときには家族で見送るのがルールになっていた。家の戸口を出て、けんちゃんの家の脇を歩いて、かわもとさんの家の前の塀のところでこちらを振り返り、左手に姿を消す。我が家の敷地(庭)の中での父のそんな姿が目に焼き付いているから、小さい頃はわざわざ戸口から身体を乗り出して、父を見送っていたのかもしれない。

父親が仕事から帰ってきたときに、横になってテレビを見ていることなどもタブーだったと思う。狭い家のなかでの堅苦しいルール(というよりオキテに近い)にうんざりしていた僕は、自分自身の生活を始めたときには、いっさい家族にそんなことは求めなかった。とにかくずぼらにしたかったのだ。

妻は朝が苦手だし、子育ては大変だし、仕事に出ていた時もある。けれど何もなくなっても朝寝たままのことが続くと、実家のイメージが頭にこびりついているためなのか、不満の意識がたまってけんかやもめごとの遠因になってきた気がする。

外の仕事と家事や子どもの学業が対等であるからこそ、朝一緒に起きてお互いをリスペクトする儀式には一定の合理性があると今では思うが、しかし今さらもう遅い。

それで最近ようやく、僕に関しては朝のことは一切言わないし不満にも思わない、ただし障害のある次男は仕事も大変だし生活習慣も大切だから、朝のサポートを今まで以上にしっかりしてほしいということで話がついた。

朝は家で一番に起き出して、簡単な朝ごはんをすませる。スーパーへの買い出しは共同の仕事だから、その時自分の朝ごはんになりそうな食材を買っておくのだ。近頃は子どものために毎朝ご飯が炊きあがるようにセットしてくれているから、それは助かる。今朝はメカブの小分けカップで、ヘルシーなメカブご飯の出来上がり。野菜ジュースを飲んで栄養バランスを整える。

そこへ起き出してきた妻が、家を出る間際の僕に、いくらか得意そうに「さあ、お湯があるよ」と白湯の入ったコップを差し出す。妻のマイブームなのか、これが数日続いているのだ。

今朝は時間と心に余裕のあった僕は、「いくらなんでもお湯だけというのは」と笑いながら突っ込みを入れると、妻もおかしそうに笑う。だから、今朝はハチミツを一さじ入れたのだという。

微妙な味のハチミツ入りのお湯を飲んで、僕は(見送られることなく)家を出た。