大井川通信

大井川あたりの事ども

大井炭鉱跡再訪

ようやく休日の晴天と体調がかみあって、双眼鏡を首にかけ、竹の杖をついて大井川に降りていく。氏神様と田んぼの真中の水神様に、しばらく足が遠のいていたことを詫びる。水神様の上空でホバリングして、ヒバリがせわしなく高鳴きをしている。そういえば、じっくりヒバリを聞くのさえ、今年初めてのような気がする。

ふとのぞくと、Hさんの家のご主人の姿が見える。昨年倒木が首にあたって4カ月入院していたのだが、後遺症もなく元気な姿に喜んで挨拶する。Hさんの祖父が労務課長をしていた大井炭鉱のことで初めて聞き取りをしたのは、もう10年も前のことになる。その時は、長男の中学校の社会科の課題にも協力していただいた。その長男も今年は社会人二年目だ。

種紡ぎ村(原田さんが住む家屋敷)を通りかかると、村人の小川さんが畑仕事をしている。それで大井炭鉱の坑口跡を案内することになった。近くの谷は竹が倒れ込んでいて、去年坑口を発見した時より歩きにくい。この調子では、来年はもう近づけないかもしれない。藪の中にぽっかり口を開けた70年前の坑口に、小川さんもびっくりする。持参した小瓶の酒を坑口に注いで、山の神に奉納した。

帰りに、里山の斜面に二段に造成された、かつての炭坑の納屋(宿舎)跡に上る。今は柿の木が植えられているばかりで眺めがいい。終戦直後、よそ者の炭鉱夫たちを村人はどんな風に見ていたのだろうか。疎開者も増えて、きっと騒然とした雰囲気だったろう。当時、村の若者4人で炭鉱を手伝ったと教えてくれたRさんを、久しぶりに訪ねる。数年前まで元気に散歩をしていて、奥さんと家の前で畑仕事をする姿を見かけていたが、今は家で伏せっている。

Rさんの家では、東京から長男の方が介護のために単身戻っていた。お母さんも身体を悪くして、二人とも施設に入ったばかりだそうだ。お父さんにお世話になったことを話すと、訪問を伝えてくれるという。息子さんは、高台に並ぶ住宅街を眺めながら、この辺もずいぶん変わりましたと感慨深げだ。その住宅街から来ている自分は、少し申し訳ない気もした。

Yさん宅をのぞくと、だんなさんが盆栽をいじっているので、挨拶をして庭の椅子で話し込む。ここ数年で、土地の歴史の聞き取りをした長老が、次々と亡くなったり、病気で伏せったりしている。そんな話をすると、Yさんが、近隣の平井山のメガソーラーの大規模開発が資金難で中断していることを教えてくれる。道理で、このごろ重機を見かけなかった。古代の人の墓を破壊して、明治の人が守った水源の森を荒地に変えたまま放置するというのだろうか。僕は憤慨するばかりだが、Yさんは行政が安く買い取って、公園として整備すればいいという。土地にしっかりかかわって生きている人の考えは、タフで柔軟だと感心する。