子ども向けの写真絵本の体裁をとっているけれども、ゲンゴロウの生態についての総合的な知見を得ることができる本で、類書はなく、出版当時は、驚くとともに喜んだ。
著者の市川憲平(1950-)は、以前にタガメの繁殖戦略についての研究を、子どもむけの物語にした本を読んだことがある。専門的な内容を、わかりやすく伝えることのできる研究者なのだろう。後書きを読むと、その背景に、水生甲虫へのこんな思いがあることを知る。
「ゲンゴロウ類の野外での生態、特に中小型種の生態については、まだほとんどわかっていません。オオゲンゴロウが野外で何年生きるのか、実はこれすらわかっていないのです。生態がわからなければ、保全もできません。水生甲虫類の研究を目指す子どもたちが増えていくことを祈ります」
この「祈り」があるからこそ、の本書なのだろう。
今回、読み通してみて、ずいぶん勉強になった。ゲンゴロウという種は、なんでこんなに急激に絶滅の危機に陥っているのか。そのおおざっぱなイメージを得ることができたのだ。
カブトムシは、人間が作り出した里山に適応して繁殖を広げることができたけれども、里山の荒廃とともに、もといた山に帰ることができた。山にも植林等の改変が加えられているといっても、カブトムシの生息できる自然林はある程度残されているだろう。
日本の平野は、大雨のたびに洪水となる沼地や湿地が多くあり、そこにゲンゴロウは暮らしていたのだ。人間が川の整備をして、ため池や水路をつくり、田んぼを作るようになると、稲作のサイクルにあわせて田んぼを利用し、繁殖するようになる。
しかし、致命的な農薬の使用にとともに、産卵する水草も蛹になる土のあぜも消えてゆき、農法の変化で、水苗代が消滅して田んぼに水が入る時期も遅くなり、水抜きする中干しも行われるようになる。また、ため池にもアメリカザリガニやブラックバスなどの天敵が入り込む。
つまり、田んぼ自体がゲンゴロウの生息を許さなくなったにもかかわらず、ゲンゴロウの帰るべき沼地や湿地は、もはや農地や宅地に変わっていて存在していないのだ。だから、ゲンゴロウは、絶滅するか、自然農法の田んぼや環境の良いため池に追いやられてしまうことになる。
大井川の周辺でふつうに見ることのできるハイイロゲンゴロウは、こうした環境の激変の中でしたたかに生存している。田んぼに水のない長い期間、また中干しの間には、いったいどこでどんな暮らしをしているのだろう。けして近くはないため池ですら水を抜かれてしまうのだ。
著者によると、中小型種の生態はほとんどわかっていないらしい。僕には本格的な研究は無理でも、歩きながら、いろんな空想は楽しんでみたい。