いよいよワタルの小学校生活が始まる。幼稚園での様子からは、補助の先生なしで小学校になじめるのか、とても不安だった。
ところが、四月には、ワタルが宿題にマルをもらってかえってきた。本人も「がっこうはしゅくだいがあるからいい」と話したという当時のメモがある。
あのワタルが宿題をするなんて、とても想像できなかった。よほどうれしかったのか、遠方に転勤した幼稚園の担任の先生のところまで、その宿題を見せに行った記憶がある。この先生には、ワタルが就職した時にも、家族で報告に行っている。
とはいっても、そのころはまだ、ワタルの話す言葉の半分くらいは、テレビアニメ(クレヨンしんちゃんが好きだった)の主人公のセリフを繰り返すような意味のない言葉で占められていて、先生や友達としっかりコミュニケーションをとるのは難しかった。
おそらく、まだ小学校入学前の様子だと思うが、当時のワタルと同年代の子どもたちとの交渉を描いた詩がある。題して「携帯電話」。
モシモーシ モシモーシ
同い年くらいの/子どもたちの声が聞こえてくると/ワタルはたまらなくなって/家の外に飛び出していく
子どもたちがカード遊びを始めると/いつもクレヨンしんちゃんのうろ覚えのせりふで/単調に戦いをいどむだけのワタルは/うるさがられるだけだ
こいつ何いってるかわからないよー
だまってそばに立っているワタルは/自分の宝物の入った箱から/オモチャの携帯電話を取り出すと
モシモーシ モシモーシ/カスカベボウエイタイ(春日部防衛隊)ナンダカラ
夢中で遊ぶ子どもたちの輪の外で/ワタルは/誰かからの電話に/ひどくはしゃいで
こうした意味のない言葉の羅列は、小学校二年生くらいまでは続いたと思う。そして完全に言葉をコントロールできなかった時代の記憶は、どうやらワタルにはないようだ。やはり言語と記憶とは、深いところで密接に関連しているのだろう。