大井川通信

大井川あたりの事ども

夏休みの詩の宿題

もう10年くらい前になると思うが、以前職場の同僚だった人から自分の子どもの夏休みの宿題の代作を頼まれたことがある。たしか間に誰かが入っていて、僕ならなんとかなりそうだということで話が回ってきたのだと思う。

仕方なしに、セミのネタで「夏の合唱」という詩を書いて、メールで送った。いかにも小学生の作品にみえるように工夫したつもりだった。

 

朝目が覚めると/もうクマゼミの大合唱が始まってる/シャーシャーシャー/シャーシャーシャー/目いっぱいの大騒ぎで/私の午前中の勉強をじゃましたあと/午後には/いっせいに鳴きやんで長い昼寝をはじめる

夕方/太陽がようやく西にかたむくと/カナカナカナ/とおくでヒグラシが一匹遠慮がちに鳴く

 

次の年の夏休みには、今度は本人から直接電話で依頼がきた。期限のぎりぎりになって親子でどうしようもなくなったのだろう。今日中に考えてくれという。その日は職員作業の日だったので、草刈りをしながら、こんな素朴な詩を作った。

 

家の手伝いで/庭の草刈りをした/真夏の太陽をあびて/雑草はぐんぐんのびる

刈られても刈られても/踏みつけられても/肥料をやらなくても/水やりをしなくても/根っこだけになっても/雑草はたくましく生きている

草刈りはたいへんだけれども/なんだか/私は雑草が好きになった

 

その次の年には、もう代作の依頼は来なかった。きっとお子さんが小学校を卒業したのだろうと思った。

それから何年かして、突然、その元同僚の訃報を受けた。まだ40代の早すぎる逝去だ。お通夜のお焼香で、僕は遺族席にすわった彼の子どもたちに頭を下げる。こんなことがなければ会うはずもない子どもたちのことが、僕にはいっそう哀しく思えた。