大井川通信

大井川あたりの事ども

『国土の変貌と水害』 高橋裕 1971

令和2年7月豪雨と命名された大雨災害が続いている。先日、電車が遅れているため、次男を勤務先まで迎えにいくために、遠賀川の堤防の上の道路で車を走らせた。水かさが増して堤防の上部に迫る濁流の水面は、堤の反対側の街並みよりも明らかに高くなっている。堤防が決壊したら、水は街にあふれだすだろう。

このところ、毎年のように大きな水害が発生している。それを例外的な出来事として、もっとなんとかならないのかといういらだちをもって見てしまう自分がいる。自然災害というものは、基本的に人間の科学や技術の力でコントロールできるものだ、という思い込みは、僕だけのものではない気がする。

この本を読むと、その感覚がまったく間違ったものであることに気づかされる。日本列島は、近年にいたるまで水害にさらされ続けているし、国土の開発がむしろその頻度を高めているのだ。

明治以降、さらには戦後の経済成長が、川幅ギリギリまでの土地活用を促し、上流から下流へと逃げ場なく堤防の内側で水を流そうという治水工事を行ったために、かえって大規模な水害を招き、都市水害という新たな問題を招いていると、高度成長期のただ中で著者はいちはやく指摘する。

日本列島の平野は沖積平野であり、そもそも洪水によって作られた土地なのだ。洪水の影響を受け続けるのは常態であり、人間の土地利用によってそれを「水害」と認識するようになったのだ。

移住者、転入者には、その土地固有の水の恐ろしさの記憶は継承されない。現代人には、家や土地を選ぶ前に、雨の日に訪れて周囲の水の流れを確認するという程度の知恵さえ十分に伝わっていないだろう。

僕自身がそうだ。たまたま高台で水害の恐れのない家を選んでいるが、それは偶然にすぎない。川のすぐわきの田畑を造成した低地の小規模開発団地が近所にあって、なんの不安もなく入居している人たちの姿がある。かつての僕も、その他の条件が良ければ、水害など頭になく選んでいただろうと思う。