カーナビが完全にいかれてしまった。使いこなせてはいないが、少なくとも地図としては役立っていたし、オーディオの機能もあるから音楽が聴けなくなるのは、バンメのニューアルバムが出たこの時期にはことさら痛い。
古い車だけれども、まだ数年は乗るだろうから、カー用品店に出かけて新品を購入して取り付けてもらうことにする。パソコンや携帯、電気製品もそうだが、車関係の備品の購入の交渉事は、まったく苦手だ。子どもの頃は、工作好きで機械も嫌いではなかったのに、いつのまにかすっかり機械音痴になってしまった。
それでも下見で予備知識を頭に入れ、スムーズに購入手続きをすることができた。ベーシックな商品で、本体4万円で工賃が2万円ほど。ほっとして支払いをする。通帳から現金で10万円を下ろしてきたので(カードでもスマホ決済でもないアナログぶり)7万円を払ってお釣りをもらう。作業で二時間くらいかかるというので、外で昼食をとって携帯で呼び出してもらう。
思ったより短時間で作業が終わり、いざ車を受け取りに戻ると、店員が何か奥歯にものがはさまったようなものの言い方をする。よく聞くと正午の締めで、一万円札がレジで1枚多かったそうだ。関係のお客に当たっているそうだが、金額の大きい僕の可能性があるとのこと。
僕は、支払いをお財布ではなく、通帳にはさんだお札から行った。新札で数えにくかったのだが、残った一万円札3枚を間違いなく確認した記憶があるので、自信をもって自分ではないと言うことができた。ここまでは良かった。
カー用品店の駐車場を出るとき、ふとある事実を思い出してしまったのだ。家で通帳を開いたとき、そこに一万円札が1枚残っていたことを。(僕は通帳でまとまった現金を下ろした時、必要な分以外は通帳にはさんでおくのだ)
もしもともとお札が11枚あったなら、残りを3枚と確認したとしても、間違えて8枚払っていたことにある。あれほどきっぱり否定しておいて店に戻るのは、お金を自分のものにするために理由をでっち上げたようでかっこ悪い。しかし、もともと通帳に1枚お札があった記憶は鮮明だから、引き下がるわけにもいかなかった。
店員さんもしっかり話をきいてくれたが、結論からいうと、やはり僕ではない、と再度納得せざるをえなかった。僕が支払ったお札は銀行のキャッシュディスペンサーから引き出した新札で、通帳にはさんだときにゆるく二つ折りにしただけのものだ。残りの3枚もそのまま二つ折りにしてお財布に戻してある。
店員さんがレジの一万円札を確認すると、新札が7枚並んでいて、その前後は折った跡のある古いお札だったという。僕の説を裏付けるためには、同じ状態の新札が8枚並んでいないといけない。
とはいえ、本当のことをいうと、まだ完全に腑に落ちてはいなかった。通帳に残していた一枚が古いお札だった可能性があるからだ。また、僕のようなそこつな人間が何人もいるとは思えない。完全に損をした気分で暗くなってしまった。
では、今はどう思っているのか。さらに考え直して、僕の損ではないような気になっている。少なくともキャッシュディスペンサーに通すとき、一万円札は通帳から外すはずだし、それをお財布に収めていたかもしれない。10枚の新札を二つ折りで通帳にはさむときに、わざわざ旧札を1枚足すとは思えないし、もしそんなことをしていたら記憶に残って、合計11枚という意識が残るはずだ。レジの時にも、あとで店員から聞かれたときにも、10枚からの支払いに疑いをもってなかったのだ。
最後に、このちまちまとせこい「事件」の教訓。時代の流れと自分の老化を考慮して、やはり現金主義は卒業しないと。