大井川通信

大井川あたりの事ども

青葉の笛

老人ホーム「ひさの」の好さんを誘って、ヒラトモ様を案内する。

里山といえども、一人で登るのは怖いときがある。だから竹の杖をついて、イノシシ除けの笛を首にたらしているのだ。遠くで猟銃の音を聞こえると、間違えて撃たれたらどうしようと思ったりもする。

その点、知り合いとガヤガヤ歩くほうがリラックスできるし、今までの体験や知識を口にすることで、それを反芻しながら歩くこともできる。相手の反応や言葉によって、新たな発見をすることもできる。何より、人の出入りの無くなった里山自身が、にぎやかな訪問を喜んでくれるだろう。

まずは、ひろちゃん宅で待ち合わせ。少し遅れたので、好さんはひろちゃんの奥さんと話していた。改修されたひろちゃん農園を横切って、参道の山道へ。

しばらく平坦な林道が続くが、近ごろは落葉がたまり、竹が倒れて歩きにくい。山の斜面に突き当たった所には、目印の木がある。頭の上を太い枝が横に張っていて、空中のベンチにするか、縄でブランコを吊るしたい感じだ。

ここで道は三方に別れるが、真ん中の急な道を選ぶ。初めてヒラトモ様を「発見」したとき、この道順を教えてくれたのが、ひろちゃんの隣人の村山さんだった。ここからは、ヒノキや杉の植林の谷にはさまれた峰の斜面を登っていく。

ヒラトモ様の前で、好さんは、竹の笛と楽譜を取り出した。『平家物語』にちなんだ曲「青葉の笛」を奉納ライブするというわけだ。僕が『平家物語』の朗読を奉納していることにヒントを得たものだろう。好さん、なかなかのパフォーマーだ。

雑木林に笛の音がやわらかに響く。「青葉の笛」は明治39年(1907)に発表された文部省唱歌で、「ひさの」のお年寄りたちは喜んで歌うというが、僕は初めて聞くものだった。

笛や和歌を愛する平家の若い武将(敦盛と忠度)の悲劇を歌ったものだが、二人とも、ヒラトモ様とは直接かかわりのない若武者だ。ただしヒラトモ様の伝承自体、おそらく明治以降に村人によって作られたものだから、こだわる必要はないだろう。

以前に、ある本で、軍記物語である『平家物語』が国民文学となった背景には、近代日本の富国強兵路線があったことを知り、なるほどと納得したことがある。ヒラトモ様もまた、戦勝祈願の神様として信仰された。

しかしこの明治時代の唱歌を聞くと、『平家物語』の人気の秘密は、やはり日本人の琴線に触れる悲劇にあるのだとあらためて思う。