大井川通信

大井川あたりの事ども

病院の窓を見上げる

入院中、窓の向うの風景が救いになったという話を書いた。一般病棟で自由に歩き回れるようになってからは、廊下の突き当りの窓から見下ろす交差点付近の街並みが、特に印象深い。病院を出たら、あのあたりを歩こうといつも思っていた。

というわけで、退院後、最初の日曜日の朝、病院近くまで車で乗りつけ、病院の周辺を歩くことにした。

窓という一点から見下ろす風景は、前後の遠近感を失い、ベタっとくっついて見えがちだ。しかし、実際の歩くと、街はずっとゆったりと風通しがよいし、眺望がさえぎられた部分にも、意外な細部が隠されている。

大きな瓦屋根が見えていたのは、浄土真宗のお寺だった。親鸞銅像に手をあわせる。かつてお城だったという丘にある境内はとても広く、駐車場にはバスケのコートもある。早朝で誰もいないのをいいことに、シュート練習を何本かする。思ったより体も動く。鐘楼で鐘に棒を少し当てると意外に大きく響き、あわててその場を去る。

廊下の突き当りのあの窓はすぐにわかったが、病院の周囲を歩きながら、反対側のコロナ病棟や自分のいた病室の窓に見当をつける。だいたいあのあたり、ということではなく、あの窓だ、という確信がもてないと落ち着かない。

まち歩きのあとで、地図で自分の経路を特定してみたくなるように、病棟での経験を建物の外側からの視線で透視し確定してみたくなったのだろう。いずれにしろ、我ながら変わった性癖だ。

あの時の僕のように薄水色の病院服を着て窓際に立つ人の姿は見かけても、同じ人間が外から同じ窓を見上げることはそうはないような気がする。

帰り、コメダ珈琲に寄って、モーニングを食べつつ読書。日常への帰還。