読書会の課題図書。ミラン・クンデラ(1929-)は二作目だが、前作よりもかなり読みにくい。自分は本当に小説には向いていない人間だなと実感する。けれど読み終わると、読後感は決して悪いものではなかった。
作者とおぼしき「語り手」が終始前面に出てきて、キャラクターの心情はおろかその深層心理、はてはそのキャラの成り立ち、性格の分類にいたるまですべて語ってしまう。ストーリーの展開も、それぞれのキャラにスポットを当てる中で、任意に先回りして語られ、あとからまた詳しく語り直すといったふうだ。
だから、主人公のカップルの運命も、全体の分量の半分くらいのあたりで明かされるのだが、小説の結末はその直前までしか語られない。語りの海の中で、情報が断片化され重層化されるような効果をねらっているのかもしれない。
表題にもなっている「存在の軽さ」についても、これみよがしに語られる。曰く、制度や体制によって課される義務や当為から逃れるもの。偶然でしかないもの。力がなく弱くあるもの。俗悪(キッチュ)でないもの。
語りの断片化、多層性とともに、軽さの強調(大きな物語の否定)という点でも、今から振り返ると、80年代以降の思想的潮流を反映し、それを象徴する物語になっていることがわかる。
この価値観の変動を、一方では極私的な性愛の現場から、もう一方ではチェコの政変に連なる世界大の政治の場面までを貫くものとして描きだしているところに、この作品の奥行と見晴らしがあるのだろう。