大井川通信

大井川あたりの事ども

はじめて舞踏を観る

三軒茶屋シアターコクーンで、舞踏の舞台を観た。演劇ではなくダンスが主体の公演を観るのは初めてだ。予備知識もないし文脈もわからないが、とりあえず印象をメモしてみる。鈴木ユキオプロジェクトの二作品で、前半の一時間弱はほぼ鈴木ユキオ一人のダンス。後半は、8人ほどの若手のダンサーによる集団のダンスだった。まずは、前半の『刻の花  トキノハナ』について。

【身体の表現力】 手(両腕)の表現力に頼る部分が大きい。両肩と背中、首と頭とがつながってなめらかで微妙な動きをつくっている。広げたり、振りあげたり、を支えたり、突き出したり。両足は土台として、跳躍と着地、動と静のリズムを作る。足先は手先ほどには語らない。武術に近く、大地を踏みしめる。しかし、身体の動き自体のパターンはそれほどあるわけではなく、長く見続けていると単調にも感じられる。以下の手法を使って、舞台上に交流すべき他者を作り出していく。

【身体の延長物】 道具を使うと、動きにぐっと精彩が加わる。木の棒を振る。ドラム缶を屈んで押す。散乱する写真や水槽の小道具は、物語を想起させる。踊りの途中で、上半身裸になるが、躍動する筋肉と吹き出す汗が時間の進行を示す衣裳の役割を負う。

【時空間の差異化】 照明によって、舞台上に世界と非世界との境界が生じる。世界の形が決まり、世界内存在としての身体との関わりが明確となる。と同時に世界内に生じた自分のとの関わりが生まれる。半透明のベールの前後での二世界化。ラスト近く、カメラマンが間近に撮った写真が背後のスクリーンに映し出される。拡大静止画が躍る身体と時間差をもって対比され、激しく交錯する。

【音による世界の刷新】 音響が舞台上の世界をひたす。音環境に身体は順応し反応する。雨音が鳴ると、身体が雨に降りこまれて、雨への身振りが喚起される。小鳥の声が聞こえると、朝のさわやかさが喚起される。

次は、後半の『moment』について。

はじめ一人が凡庸な動きをすると、それにつられる数人が現れる。皆が躍るなかで初めの一人だけが不意に動きを止める。これの繰り返しで、ステージにもダンスにも何の魅力もない。やがて、照明が足されて舞台の輪郭と身体の影がくっきりとする。音響が加えられて、舞台に感情が満たされる。衣裳も付けられて、ダンスのクオリティが向上し、諸身体が連動してリズムが脈打ちだすと、舞台の魅力が増してくる。

舞踏に何が必要かを、順番に要素を加えることで見せてくれるような展開だった。薄いベールのような幕で舞台が前後に仕切られて、奥のぼんやりとしたダンスと手前のダンスがまるで異世界のように共存しているシーンが美しかった。