大井川通信

大井川あたりの事ども

『正義の教室』 飲茶 2019

学芸大の大村龍太郎さんから薦められて読む。課題図書が渋滞していて、ずいぶん遅くなってしまったが、面白く読みやすかった。

様々な哲学説の解説がベースになっているのだが、もしこの内容が普通の入門書として書かれていたら、途中で退屈して投げ出してしまっただろうと思う。それをある高校の生徒会を舞台にしてストーリー仕立てで興味深く読ませる手腕はなかなかのものだ。学園物のライトノベルを読むような面白さがある。隠された因縁や謎を仕組んだりして読者の関心を引き付ける工夫がなされている。

教育学者の大村さんが評価するのだから、若い人たちに対する効能がいろいろ考えられるのだろう。哲学思想を身近に感じ、論理的な思考力や議論する力を培う上での教材として役立つというならよいことだと思う。

ただ、これはジャンル自体にかかわる根本的な問題だろうが、若い人たちでもベースになっている議論に退屈さや迂遠さを感じてしまうのではないか。現実離れした「神学論争」を聞かされている気になるのではないか。

登場人物たちは、それぞれの背景から、「自由」や「平等」や「倫理」などを信奉するキャラとして議論を戦わせるのだが、こんな人間はいないだろう感はすさまじい。本文では「倫理」のみが根拠の説明ができない宗教だという整理になっているが、どう見ても「自由」や「平等」への無批判な乗っかりも宗教的だ。

つまり、これはヨーロッパという地域で生まれ、近代になって一応完成したローカルな思考に基づく議論なのだ。僕が若い頃は、出自はたしかにローカルなものであっても今や世界を席巻しているのだから、それを普遍的なものとして受け入れる必要があるという考えが主流だったが、現今の世界情勢を見ると、その理解も今やだいぶ怪しくなっているだろう。

ただ、裏読みすると、著者のねらいは、欧米の哲学思想をわかりやすく解説するとともに、それが実は欧米のローカルな思考で我々にはリアリティが乏しいと気づかせることにあるのかもしれない。この点で、哲学万能を振り回す竹田青嗣や苫野一徳の入門書よりずっと上質であるといえる。

ところで、物語の終盤の「構造主義」以降の章では、実際に学校に据えられた監視カメラシステムとの攻防もあって、議論がリアリティを帯びてくる。これは、構造主義自体が、欧米思想のローカル性を抜け出してそれを批判するものであるため、日本の現実にも手が届いているということなのだと思う。

著者の「ポスト構造主義」に対する評価は辛辣だが、その議論を経由してようやく主人公正義君も物語のラストで自分に納得のいく思想を手に入れることができたのだ。