大井川通信

大井川あたりの事ども

『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』 フィリップ・K・ディック 1968

読書会の課題図書で読む。古い文庫本を持っていたが、きちっと読んだかどうか記憶が定かでない。映画『ブレードランナー』の印象が強すぎるためだ。

久しぶりに小説の世界に没頭できたような気がする。映画以上に原作がいい。徹底的に理詰めで論理的に構築された作品世界で説得力がある。映画ではレイチェルとリックとのラブストーリーになってしまっていて、エンタメとしては正解だが、小説でのレイチェルの突き放し方の方が意外だが舞台設定にあっている。

ディックの短編にも、人間と機械との境界線を問うような作品があったと思うが、長編では物語の肉付けが豊かで読みごたえがある。作者の他の長編も読んでみたくなった。

人間のアイデンティティをめぐる神経症的なこだわりを、作中ではアーサー教といわれる宗教も後押ししている。これはいかにも欧米的な価値観だろう。

日本化された仏教では「草木国土悉皆成仏」といって、有機物、無機物問わず成仏して仏になると等価に扱われるのだ。アンドロイドたちにはパラダイスかもしれない。

以下、読書会レポート(修正版)。正直、小説の精緻な構成に読みがついていけず、うまく書けなかった。

 

1、印象に残った箇所(ページ数も明記)

・オペラ歌手のルーバ・ラフトの尋問中、逆襲にあったリックが、自分の全く知らないサンフランシスコ警察の司法本部に連行されるくだり。(138頁~、種明かしは160頁)

・リックといいムードになって結婚や駆け落ちをしかねない雰囲気だったのに、何のためらいもなくレイチェルがハンターを骨抜きにするための美人局?の常習犯であることを告白するあたり。(257頁~)

 

2、マーサー教とは何だと思いますか。

・「共通体験」や「感情移入」をアイデンティティとする人類の救済のための宗教。

・アンドロイド製造メイカーのローゼン商会の差し金によるレイチェルの活動や、偽サンフランシスコ司法本部の規模、人気テレビ番組司会者のバスター・フレンドリーもアンドロイドだったことを考えると、リックたちの想定以上に地球のアンドロイド化は進んでいたことになる。

・アンドロイド化の攻勢のまえにマーサー教の虚構性が明らかになっていくが、リックは結末で「マーサー」と一体化し、妻のイーランの待つ家庭に戻る選択をしている。人類がマーサー教を捨てられないことを暗示しているようだ。

 

3、レイチェルは最後、何故リックの山羊に対してあのような行動をとったのでしょうか。

・レイチェルの誘惑をはねのけて仲間のアンドロイドを殺したリックに対して何らかの負の感情(腹いせ、復讐、嫉妬)を起こしたために、リックにとって一番大切なものと思われる山羊を殺して、ダメージを与えようとした。

 

4、人間とアンドロイドの違いは何だと思いますか。

・この小説世界では、人間の指標として「感情移入」能力と、そのあらわれである「動物への欲求」に基準を置いている。だから、人はみなインチキ「アーサー教」(共感体験を与えてくれる)を捨てられず、インチキ電気動物を飼うことを選んでいる。

・アンドロイドはその基準外にいる存在。だから生き物を平気で殺すし、電気動物を欲しがったりしない。

 

5、感想

・イメージと映像美で構成された映画の印象が強すぎるが、原作はスキのない論理で組み立てられており、ストーリーとしてはこちらの方が優れていると思えた。

・1968年に書かれた原作は、24年後である1992年を未来世界として描いている。その31年後である今読んでも、人間と区別のつかないアンドロイドや火星移住が実現する世界ははるか未来だ。執筆当時の世界の変化のスピードがいかに激しかったかを物語る。

 

6、疑問点

・偽のサンフランシスコ警察に雇われていたバウンティ・ハンターのフィル・レッシュは、リックの検査によって人間だということが判明するが、だとするとなぜ3年前から雇用されていたという偽の記憶(アンドロイドしか移植できない)を持っていたのか?

※リックの知識以上にアンドロイドの地球進出が大規模に進んでいるため、実際に3年前から偽指令本部が運営されていた(リックの想定では数か月くらい前から)ということなら理解できる。