行橋に年始の挨拶に行こうと思って、前日からネットで時刻表を調べる。この日は午後から小倉で読書会があるので、ある程度早く出たら午前中の訪問が可能だ。
運悪く雨で、荷物も重い。駅まで車で行き駐車場を利用することにしたが、乗車予定の電車は階段を駆け下りた僕の目の前で無情にも扉が閉まる(失敗1)。つぎの普通電車では行橋に着くのが遅くなる。先方でしっかり時間はとりたかったので、途中で特急電車に乗り換えることにした。
同じ特急電車には、二つの駅で乗り換えることができたが、当然先の駅の方がホームでの待ち時間も少ないし、料金も安い。しかしなぜか勘違いしてすぐの隣駅で降りて、高い特急料金を払う羽目になる(失敗2)。
特急は小倉で折り返して、そのまま日豊本線へ。ぽかぽかする座席にうとうとして、気づいたときには、どこか見知らぬ沿線風景が目の前に広がっている。5分前に行橋を出ていたのだ(失敗3)。これだけは幸い県内に特急の停車駅があり、戻りの普通電車の連絡もよかったけれど、行橋到着は、最初の予定より30分は遅くなってしまった。
その後の予定は順調で、予定通り小倉に着き、開始の13時に読書会の会場へ。ところが誰もいない。当初の予定が変更で開始が14時になっていたが、これは僕の確認ミス(失敗4)。開始がこの時間だったら、そもそも午前中タイトな日程を組む必要はなく、そのために失敗を積み重ねることもなかっただろう。
僕には、こんなふうに立て続けに失敗してしまう時(時期)がある。そんなときは、自分の中で何かが壊れてしまっているのだ。かつての自分の注意力や習慣をあてにしても、そのかつての自分が劣化してしまっている。だから、その劣化した自分にふるまいを合わせることが必要だ。そうすれば、またしばらく持ちこたえることができる。
人生の後退戦を生きるための知恵ではある。いばれることではないが。