大井川通信

大井川あたりの事ども

行橋詣で(2024年初詣)

いろいろばたばたして、10時半近く教会に着く。井手先生はスーツ姿だから外出の予定があるのだろう。しかし一時間くらいは話ができるそうで、ほっとする。

お供えの日本酒「剣菱」を奉納すると、井手先生が、あなたとは不思議なことがあると感心される。どうやら信者の方で、毎年新年に「剣菱」を奉納していた人がいるらしいのだが、今年は何かの事情でそれが途切れたのだそうだ。そこへ僕が同じ銘柄のお酒をもってきたから驚かれたのだろう。酒が苦手な僕は、酒好きの会話から銘酒の名前を覚えていたにすぎないのだが。

スーツ姿の先生をあらためてみると、実に立派で厳しさもうかがわれる風貌だが、笑顔がとてもいい。僕より10歳ほど年長だが、年齢による世俗の垢や気力のおとろえなどまったく感じられない。(この点で同世代の「村の賢人」原田さんと似たものが感じられる)

良い先生に出会ったものだと思いながら、新年のあいさつをする。僕が昨年一年間、井手先生の教えを受けながら金光教を思索した文章をまとめた9頁のプリントをお渡しした。不肖の弟子からの区切りのレポートだ。

その一つ目の文章の書かれた日付を見て、井手先生がおやという顔をする。先生の誕生日だそうだ。剣菱のことといい、こうした小さな符号に敏感になることが、きっとこの世の因果(おかげ、差向け)とそのもとで生きる命を正しく了解することのきっかけになるのだろう。

レポートは理屈をこねまわしたものに過ぎないが、僕が今まで見聞きして納得してきたことと金光教との出会いを理屈としてつなぎ合わせたものだ。ここに連絡がつかないと、やみくもに信仰することなど僕のような人間にはまずできない。理屈で連絡がついて、ようやく第一歩を踏み出すことができる。

だからレポートの内容は、特別に誇るようなものでなければ、かといって卑下するようなものでもない。そういうありのままを安心して提示できる信頼が、先生に対してはある。あとは残りの人生の時間でものになるかどうか、間に合うかどうかだ。

先月の東京旅行の土産話として、小金井の東京学生寮を訪ねた話をする。僕が今村先生から学んだ大学の目と鼻の先で、全く同時期に作家の小川洋子さんが暮らした寮だ。先生から寮監だった中山亀太郎先生(小川洋子さんのエッセイにも書かれている)の話を伺った。中山先生の著書「運命を愛し運命を生かす」を読んでみたくなった。

教会では新年の参拝者に、お年玉と書かれたお菓子やお酒を用意している。僕も井手先生から子どものようにお年玉のお菓子をいただいて帰る。駅近くの三徳ラーメンに入り、今度はおでんとのセットをたのんだ。みそだれが美味しく、ラーメンがかすむくらいだ。さすが名物。