大井川通信

大井川あたりの事ども

目羅博士 VS. ジョルジョ・デ・キリコ

上野の東京都美術館でキリコ展を観る。夏休み期間中とはいえ平日の朝一番なので展覧会はさほど混んでいない。

キリコ展は、1989年に新宿の小田急デパートで見て以来だ。若い頃からジョルジョ・デ・キリコ(1888-1978)の絵は好きだったのだが、展覧会の印象はそれほどいいものでなかった。いかにもキリコらしいイタリア広場やマネキンの肖像などの初期の「形而上絵画」は少なく、それ以降の画風の変遷に見るべきものはなくて、晩年の自己模倣作品の水増しばかりが目立った。(カタログは購入しなかったけれど、2005年にも北九州市立美術館で見ていたことを後から気づいた。この二回の展覧会で印象が固まっていたのだろう)

だから今回もさほど期待せずに観たのだが、以前の印象とおどろくほど変わらなかった。数少ない1910年代の作品はさすがに斬新な画風を切り開いた迫力があったが、それ以降の妙に明るく緩んだ絵には心を動かされない。

その中で、何点かの立体作品の小品が展示されていて、思いの外良かった。例の表情のないマヌカン(マネキン)風の人物像で、考古学のモチーフを衣服のようにまとっている。立体にするとその良さが際立つが、絵だとそこまでのインパクトがないのは、辛辣に言えば絵がうまくないからだと思う。

上野公園では、上野大仏の首を見て、不忍の池の方に下りてみた。どちらも初見である。うだるような日差しをさけて、池の木陰に腰かけて、江戸川乱歩の『目羅博士』の一節を朗読する。

ところで、目羅博士の犯罪は、都会の夜の幾何学的な街並みと月光の魔術を背景に、無個性なマネキン人形を用いて、相手に模倣作用を起こさせることによって成立していた。「幾何学」「マネキン」「模倣」等はすべてキリコの作品世界の重要な構成要素である。自己模倣に足をすくわれて失敗しているあたりまで同じだ。有名なイタリア広場の情景は、目羅博士の犯罪の舞台にしてもおかしくない。よって、この両者は勝負にならず、むしろ共犯関係にあるだろう。

どおりでキリコのマネキン立体小品が活き活きとして見えたはずだと思う。この土地は目羅博士のフィールドなのだから。