大井川通信

大井川あたりの事ども

親子は別れてはいけない

春、巣作りから始まるツバメの献身的な子育てが、間近で続いている。しかし、巣立ち後まもなく、親であり子であった事実は忘れ去られるだろう。

以前、内田樹のこんな言葉に救われたことがある。生物学的にいえば、親の唯一の役割は、こんな親と一緒にいると自分はダメになると心底子どもに思わせる(そして自立を促す)ことなのだと。だとしたら、僕も、十分親の役割を果たしたことになる。

30年以上前、僕も両親の献身的で生物学的に正しい子育ての結果として、当然のように家を飛び出して、遠方の地に来た。だから、自分の子どもが、ある年齢になると、親から距離をおき、家から出たがり、そして実際に出て行くことを、当たり前のこととしてながめていたし、そうながめざるを得なかった。

しかし、実際に彼が家を出て行ったとき、その出来事の家族にとっての大きな意味に驚愕することになった。多くの親子がこんな衝撃の出来事を、平然とやり過ごしていることが信じられない、と思えるくらい。(実は誰も平然となどしてなかったのだろう)

20年間、濃密な関係の下にあった家族が、任意の選択で、不可逆的に赤の他人に等しい別々の生活に入る。それは、人が死すべき存在であるのと同じく、自然過程と言えるかもしれない。にもかかわらず、「人は死んではいけない」と叫ばずにはいられないように、「親子も別れてはいけない」のだ。そうして、離れ離れに、しかしいつまでも親子の絆にとらわれつつ、生きていくことになるのだろう。

そのことに、子としてはだいぶ遅くなって、親になると身にしみて気づくようになった。