大井川通信

大井川あたりの事ども

母の誕生日

今日は母の91回目の誕生日に当たる日なので、姉に電話をする。降ってわいた災難の日であるような命日よりも、子ども時代から何回となく祝ってきた誕生日の方がなじみ深い。それで姉と僕は、自然と両親の誕生日に連絡を取り合うことになった。

もう実家も手放してしまったから、かつての家族の生活をしのぶ場所はない。僕と姉とが、かつての習慣にならい、両親のお祝いをすることの中にかろううじて家族は生き残っているのだろう。どちらかが亡くなれば、家族は一人の記憶の中に切り縮められて、やがてそれも永遠に消滅する。かつて地上に存在して、今はその痕跡を失った無数の家族と同じ運命をたどるわけだ。

とはいえ、先のことを悲観してもどうしようもないし、本当のところそんな想像にリアリティがあるわけでもない。圧倒的にリアリティがあるのは、毎日の生活だ。これが目の前によこたわっている。

大切なのは、毎日の暮らしをていねいに生きることだろう。家事をはじめとする平凡な日常の所作に丹精を込めること。これは安部さんから教わったことだ。

そうして、現在のみに生きられない人間の宿命にしたがい、上手に過去を振り返ること。よりよく思い出すこと。これは小林秀雄がいっていたっけ。