大井川通信

大井川あたりの事ども

一代終えるのは「やおいかん」

タリーズコーヒーで例のごとく勉強していると、となりの席に男性が座った。髪が少し伸びていて、やや太めのラフな恰好をしたおじさん、といっても僕よりはだいぶ若いだろう。その向かいには同じくらいの年かっこうの女性が座って、二人の会話はいやでも耳に入ってくる。男性の声にはハリはあるが、話す内容は明るくはない。

生活に何の希望もない。食べるか飲むかくらいだ。明日は面接に行くが、何を着ていこうか。採用されても、行くかどうかはわからない。いろいろ言ってくれる人はいるけれども、(テーブルのサンドイッチを指さして)この箱をくれる人はいない。毎日これを二つくれたら、それで食っていける。

相手の女性はもっぱら聞き役だが、男の方も、あなたの方も大変だろう、と気を回す発言もする。二人は夫婦とか恋人とかいうわけではなさそうだ。

「一代終えるのはやおいかんですの」と魚屋のおばちゃんが昔言っていたけれど、ほんとにそうだ、という言葉を残して、男は相方と席を立った。

やおいかん、というのは九州地方の方言で、ちょっとやそっとではいかない、という意味だ。人が一生を終えるのはなかなか大変だ、ということだろう。

一代終えるのはやおいかん。

なるほど、そのとおりだと僕も思う。生まれて、大人になって、働いて、老いて、死んでいく。どんな人生であれ、一生を歩く抜くのは本当に大変なことだ。そんな共感のエールを送るいとまもなく、彼らはどこかに行ってしまったけれど。