大井川通信

大井川あたりの事ども

多摩川の思い出

すこし前に多摩川の本を読んで、子ども時代の多摩川のことを思い出した。

多摩川は、実家から直線で3km近くあったから、小さな子どもにとって簡単に行ける距離ではない。それでもすいぶんなじみ深いのは、川べりに市営の清化園プールがあって、幼児の頃から通ったからだと思う。

調べると、この清化園プールは、2000年に廃止されている。名前の由来は、し尿処理場に併設されているプールだったからだろう。ちなみに、このし尿処理場の建物は、僕には因縁のある建築家徳永庸の事務所によるものと後に知って驚いた記憶がある。

跡地には、今はやりの温泉やスーパーなどが立地するモールが出来ているようだが、生前の母も通ったのかもしれない。

小学校も高学年になると、自転車で多摩川の河原に遊びに行くようになった。当時の多摩川は、岸辺のテトラポットがある辺りには、白い洗剤の泡のようなものがいっぱいたまっていて、かなり汚れていた。この時の印象で、多摩川は汚いというイメージが強いが、実際には高度成長の影響で多摩川の汚染が目立つようになったのはその何年か前からの事に過ぎず、その後多摩川の水質はずいぶんと良くなったということを本で知った。

汚れた河原では何をして遊んでいたのだろう。「水切り」が思い浮かぶ。平たく円盤状の石を上手く見つけ出して、それを水平に回転を加えて投げると、川の水面を石が何回も跳ねて進んでいくのだ。それから、ザリガニ釣り。ザリガニは汚れに強いのだろう。何匹も捕まえて、今思うと残酷な遊びをしたりした。

僕が今住んでいる土地には、多摩川よりはずっと規模が小さいが、近くに川が流れている。この土地を気に入った理由には、そんな川への思い出と愛着が隠されているかもしれない。

 

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