大井川通信

大井川あたりの事ども

4つに絞る

昨年あたりから、ようやく自分なりの生活の地図を描くことができるようになった。昔から読書や考え事のときに図を使って考えることはしてきたが、それを自分の生活の指針とするまでには至らなかったのだ。

直接のきっかけは、定年による生活の変化とコロナ感染による闘病だろう。これからどう生きていくか。残された時間の中で、何にしぼって、どう優先順位をつけていくのか。自分の「中心軸」を探る、という言い方をしたりもした。

4月以降の新生活の中でも、ずっとそれが気になっていたが、ここにきてようやく自分なりに納得のいく、中心軸というか焦点の絞り方を見つけることができたように思う。

中心軸(焦点)は4つである。廣松渉の四肢的構造論ではないが、4つが納まりがいいようだ。

まずは、「身体」。コロナ闘病などの病気や老い、介護の体験等で、まずは身体を自分の生活の中心にすえるべきことを痛感。

次に、「精神」。こちらもコロナ禍で自分の死と向き合った経験が大きい。知識や勉強や読書などよりももっと根元にある思想や気構えだ。宗教的なものでもあるし、自然や他者とのかかわりに関するものでもあるだろう。

さらには、「表現」。表現されたものを味わうにしろ、自分で表現するにしろ、広い領域の中で絞らないと、もう時間もない。詩と絵本を考えている。

最後に「知」。あるいは「探求」。これは自分の仮構された生活圏(大井川流域)に場面をしぼることを継続する。

「身体」と「精神」が、より基礎的な層であって、死ぬまで関わり続けることになる。「表現」と「知」については、より上部の応用的な層だから、今後縮小していったり、どこかで店じまいしたりすることを想定しないといけないだろう。

 

 

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