『新・百人一首』からさらに一ネタ。
三枝昂之(1944-)の歌。60年代の「政治の季節」を背景にしており、終(つい)の敵も味方もいない孤立の深さを流れる雪の明るさが際立たせている、ということかもしれないが、敵味方を峻別する政治思考をリアルに感得できた世代でないと、深く鑑賞するのは難しいのかもしれない。当時影響力の大きかった埴谷雄高(1909-1997)が政治の本質を「奴は敵である。敵を殺せ」と喝破した時代である。
ここでも興味をひくのは、座談での選者の解説の方だ。発言しているのは、戦中派の岡井(1928年生まれ)と馬場(1928年生まれ)、そして全共闘世代の永田(1947年生まれ)の三人。以下、ポイントのみ引用。
馬場「あの頃の学生は酔えばしょっちゅう殴り合ってたけど、今はそんな集まりも少なくなりました」岡井「今は褒めまくる時代ですから。僕もずいぶん褒めるのが上手にありました(笑)」馬場「我々の時代は相手かまわずズバズバ言うのが面白かったんだから」永田「学生短歌会で議論が熱くなると『表へ出ろ!』なんて場面もしょっちゅうでした。今ではとても考えられないですけどね」
たしかに短歌の議論でさえ殴り合いが始まるというのは、今では想像もつかないことだ。僕も若いころに全共闘世代の議論に立ち会って、脈絡なく自分の意見を一方的に話し続けたり、相手の考えを頭ごなしに否定したり、気に食わないと「表に出ろ」(さすがに酒の席だったが)とどなったりする姿に嫌悪感を抱いたが、今から思えば、それが世代の定型的なコミュニケーションスタイルであり一種の様式だったのかもしれない。
今では、一般に議論の場ははるかに繊細で穏便になり、いい意味で生産的になっている。ただ、個人の攻撃性や暴力性は沈潜化して、ネットなどの匿名の場所に噴出しているのかもしれない。