月一回の吉田さんとの勉強会では、お互いの成育歴について振り返りつつ自他の違いについて理解を深めることが多い。お互いががかなり違う環境で育ったので、この作業がとても面白く、有意義だ。
ただ、この話題の面白さと豊富さでは、僕は吉田さんの足元にも及ばない。
吉田さんは、古い温泉街のメインストリート沿いで育った。家は、もと遊郭だった建物でそれを集合住宅として使っていたから、内部の廊下でつながった部屋にたくさんの人たちがくらしていたようだ。そのため、他の家族の部屋でご飯をごちそうになったり、テレビを見せてもらったりが日常のことだったという。吉田さんの話にはそうした隣人たちのエピソードが満載だ。
家の前の道には、おそらく元遊郭の同じような「集合住宅」がならんでいた。だから、戸建ての一軒家というものは、テレビの中でしか見たことがなく、東京だけの特別な暮らし方と思っていたそうだ。
僕の家は東京の住宅団地にあって、四角い敷地は隣近所と塀で区画されていた。大人同士のついあいはある程度あったようで、親の会話の中では隣近所の家の名前が出てくるから印象に残っているけれども、実際にその家にどんな家族が住んでいたのかほとんど記憶にない。大人になってからも、外であいさつする機会さえ、めったになかったと思う。
もっとも、姉の話によれば、幼児の頃は、隣近所の家にいっしょに遊びに行ったことはあるらしい。しかしそういう関係は、幼い一時期だけで、僕自身の記憶にはまったく残っていない。
僕が今住んでいる住宅団地での人間関係も、僕の実家での隣近所の関係とほとんど同じようなものだ。そう考えると、半世紀以上まえの東京郊外の経験は時代に先駆けていたのかもしれない。あるいは、「住宅団地」という環境が人々に強いる関係性というものには、ある程度の共通性があるということなのかもしれない。