大井川通信

大井川あたりの事ども

高安寺観音堂 東京都府中市(禅宗様建築ノート8)

禅宗様建築についての文章を書くのが若い頃からのひそかな夢だった。もちろん専門的な記述をすることはできないから、僕の禅宗様体験ともいうべきことを主観的に書き綴るだけだ。国宝、重要文化財の遺構が話題の中心になるけれども、個人的に因縁のある建物は、それ以外にもある。

高安寺は、多摩地区にある比較的大きな寺院で、実家から自転車で行ける距離にあったから、子どもの頃から何度も訪れている。目当ては立派な二重門で、境内の片隅にある観音堂のことなどは目もくれなかった。

高安寺は、足利尊氏が全国に作ったという安国寺の一つで、たとえば地元福岡でいえば以前記事を書いた興国寺がそれにあたる。歴史のある禅宗寺院には、それなりの遺構が残るのだろう。

この観音堂禅宗様の遺構として貴重ではないかと気づいたのは、前回訪れたときが初めてだった。平成になって市指定の文化財となり、説明板などもついたので改めてじっくり見てみたのだ。

三手先詰組、二軒扇垂木、方三間、入母屋造、花頭窓。銅板葺きの屋根は軒の出も深く軒ぞりもある。どの細部をとっても、本格的な禅宗様仏堂である。床が張られて周囲に縁があるのは、近在で重文の高倉寺観音堂と同じだ。説明板には、江戸中期18世紀前半の三間堂として多摩地区では貴重であると書かれており、今から約300年前の建物だ。

昔の僕がこの堂を禅宗様として認識できなかったのは、この堂のロケーションが悪く、もっとも魅力的な正面からの姿が見にくいこと。正面の向拝がさらにそれを邪魔していること。また、境内から見やすい側面や後方からの眺めでは、この堂のプロポ―ジョンの悪さが目立ってしまうためだろう。入母屋屋根の棟の位置が高いわりに幅が狭すぎて、大げさにいえば屋根が滑り台のように見えてしまうのだ。建物の外観のバランスの悪さは江戸期の建物にありがちな弱点だろう。

このお寺の堂宇は、おそらく甲州街道が通る位置が変更したために、今の正面からは横を向いた形で建っている。もし総門から続く参道に正対して観音堂が建っていたなら見栄えもだいぶ違っただろうと残念に思う。

とはいえ、この建物もさらに百年の風雪に耐えるならば、重要文化財の指定の可能性もあるかもしれない。