大井川通信

大井川あたりの事ども

凹(へこ)む老人

以前、いつのまにか自分が「怒る老人」としてふるまっていることを書いた。その時は半ば反省しつつも、怒っている自分自身をどこかで面白がっている気分があった。自分は、こんな風にワイルドでアクティブなんだぜとばかりに。

自分がよく行くショッピングモールでの出来事だったから、怒りをぶつけた当人に顔を合わせるのはさすがに気まずかったが、その場所に行くことに特別抵抗感はなかった。自分のやったことを本当には反省していない証拠だろう。

近頃、ネットの動画を見ていると、電車の中などで大声を出したり暴れたりしている人たちの姿をさらしたものが目についた。たいていは年長者で「老害」の表題がついている。みっともないし、見苦しい。本人は自分の言い分や正義に固執して得意になっているのだろうが、情けなく、哀れだ。

ふと、わが身を振り返ってみる。この老害と同じじゃないか。この時、はじめて心底凹んでしまった。

昔、ある小学校の校長からこんな話を聞いたことがある。二学期になっても、落ち着きのない学級があった。学年の当初に規律を身に着けさせることに失敗したのだ。こうなると、通常、クラスの秩序を回復させることは不可能だ。

ところが、ある研究授業を引き受けたときに、奥の手を使い、短期間でクラスを落ち着かせることに成功したという。

では何をやったのか。子どもたちに、自分たちが授業を受ける姿のビデオを見せて指導したのだという。多くの子どもたちは、自分たちの授業態度のひどさに愕然としたのだろう。今回の僕のように凹んでしまったのだろう。このショック療法で、行動を切り替えさせることができたのだ。

自分を客観視することは実はかなり難しい。成長途上の子どもや、衰えの過程にいる老人にとってはなおさらだ。その時自分を外から見ることのできる映像というのは強力な補助手段となるわけだ。

 

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