安部さんと知り合ったのは、『菜園便り』の通信が始まる少し前の頃だったと思う。ある会合で定期的に顔を合わせたことをきっかけとして、自宅にも時々お邪魔するようになった。
たいていは夜だったから、旧玉乃井旅館は、奥でお父さんの起居するわずかな気配を除いては、がらんと静まり返っている。その深々とした闇を背景にして語りだされる言葉には、抗いがたい響きがあってたちまち魅せられた。一方、安部さんはパーティーが好きな社交家でもあって、大勢の友人たちを自宅に招いて会話を楽しむ姿には、孤独な言葉の使い手の面影はなくて、少々戸惑うところもあった。
『菜園便り』には、野菜を始めとするたくさんのモノたちがやり取りされ、モノを携えたヒトが往来する様子が描かれている。菜園はどっさりと収穫をもたらし、安部さんは感嘆の声を上げる。菜園の恵みはおすそ分けされ、今度はあちこちから多くの届け物を招くことになる。安部さんがうっとりと眺めるのは、贈与が切れ目なくヒトとモノとをつないでいくような世界であるのは間違いない。
僕は贈り物というものが、昔から苦手だった。だから、ゆたかなモノのやり取りが、まぶしくもまた多少息苦しくも感じられて、実際のところ通信が送られている間は、あまりよい読者ではなかったような気がする。
しかし、まとまった『菜園便り』を見ると、安部さんの視線は、贈与の円環が破られ、贈り物がその行き場を失くしてしまうような場面にこそ注がれているのがわかる。それは、友人との小さな齟齬であったり、突然の離別であったりする。旧玉乃井旅館の建物もゆっくりと崩壊へと向かっており、肉親の老いや病気がそれに重なっていくのだが、安部さんは、たじろがずに、かといって虚勢をはるのでもなく、言葉を紡いでいく。
数年前、お父さんに続いて安部さんが同じ病院に入院したことがあって、お見舞いをしたのだが、安部さんがそんな状況の中で初めての入院生活に興味をもち、実に細やかに観察している様子に驚かされたことがあった。
『菜園便り』には、映画や文学について書かれた文章も載せられているが、そこでは安部さんは、思いもかけずにもたらされる菜園の収穫を見つめるのと同じまなざしで、映画のフィルムや小説の言葉を愛でているような感じがする。安部さんが現代美術と深いかかわりをもったのも、それが既存の意味づけを振りほどいて、すぐれてモノそのものを提示する試みだったからかもしれない。
安部さんが領域を横断して、説得力のある言葉を語れるのは、内面による変換や了解を経由せずに、そこにあるものをあるだけ直に受け止めるような稀有な資質を持っているからだろうと思う。モノやヒトがもたらす恵みの喜びと、それが奪われることの茫然自失を等しく描き続けながら、『菜園便り』の10年で、世界を慈しみ肯定する言葉の力はいっそうの深まりを見せているようだ。
※この小論「見つめること、そして肯(うべな)うこと」は、『菜園便り』出版直後の2011年1月の勉強会「9月の会」で報告され、翌日の出版記念の催しでも配布、朗読する機会をえた。その後、安部さんの友人宮田さんの作る小冊子にも転載されたり、近くには、安部さんが人生を振り返る「お話し会」でも参考配布されるなど、僕の文章としては、珍しく長く人目に触れ続けたものだ。安部さんも当時、初めての作家論だと喜んでくれた。『菜園便り』以後すでに10年が過ぎているけれど、僕は安部論としてこれ以上のものが書けていない。安部さんの回復を願って、通信にアップする。