大井川通信

大井川あたりの事ども

河川敷の思い出

広々とした河川敷を歩いていると、体内から河川敷の思い出がよみがえってくる。雑木林に入ると、わくわくして昆虫を探し回った気分が自然とわいてでてくるのと同じことだ。

子どもの頃、近くにある大きな川は多摩川だった。そもそも地元の街が多摩川の流れで造られた河岸段丘の上にあったのだ。街を抜け、街道を渡り、田んぼに降りたまだ先に多摩川はあって、堤防を越えると広い河川敷にテトラポットが置かれ、草原が広がり、その中をふだんの川は細くわかれて流れていた。

70年代の初頭。公害が全国で社会問題となっていた頃だ。川岸には一面、洗剤の白い泡がたまっている。そんな中で、ザリガニを捕まえては遊んでいた。ザリガニはいくらでもいたから、ずいぶん残酷な仕打ちをしていたような気もする。

今歩いているのは、街中の河川敷だから、大きな橋がいくつもかかり、駐車場や沈下橋やウォーキングコースが整備されている。しかし、ここも増水時は、激しく強い流れに飲み込まれるのだ。僕は、魚になった気がして、ちょっと息をとめる。

水面には、真っ白いおでこのオオバンが3羽泳いでいる。さっと翻ったのは、やや太めのツバメだ。腰に白い帯が目立つから、越冬中のイワツバメだろう。

 

里山の古墳を案内する

村チャコの常連ワタナベさんを連れて、大井の里山に登る。里山の頂上にある三角点に案内することを約束していたのだ。

倒れた竹が脇にやられて林道が歩きやすくなっているのは、山の作業で人が通ったためだろうか。そんな変化に敏感になる。斜面を登るときには、誰かのつけた赤いテープの目印をしっかり確認するようにした。以前はヤマカンで登っていたが、一度迷ってからは自信がなくなったのだ。

ヒラトモ様についてから、峰に沿って三角点を目指す。このルートは久しぶりだ。思っていたより歩きにくい。峰に沿って古墳がいくつかあって、その石室をワタナベさんが興味深そうにのぞく。

以前僕もそうだったけれども、古墳とは教科書で習ったり、文化財として管理されたりしているイメージがあるから、身近に無造作に存在することが意外なのだろう。この山が開発でもされない限り、調査の順番が回ってくることはないだろうし、それはもはや壊されるときだ。

標高123メートルの三角点も、円墳の盛り土の上に設置されている。木々が生えて自然地形と見分けはつかないが、斜面に石室が口を開けているからそれとわかるのだ。

林道の入り口まで戻って、そこでワタナベさんとは別れる。次はクロスミ様へ案内する約束をする。人を案内するのは、僕も張り合いがあるし、里山も喜んでいるだろう。

急いで家に戻って、パソコンの前で待機。ハードロックバンドBand-Maidの配信ライブを視聴する。気合の入った新曲も聴けて、充実の2時間だった。

 

 

「仕事・大井川・理論・文芸・ワタル」

「お財布・携帯・鍵」というのが、昔から外出の際の僕の個人的標語なのだが、うまく活用できているとはいいがたい。肝心の時に、この標語を唱えるのを忘れるのだ。だから、携帯やお財布を平気で忘れて、家や外出先に取りに戻ったりする。

最近は、これに「メガネ・マスク」が加わった。記憶力が衰えて、習慣の力に頼る割合がますます大きくなっていく。ようやく最近になって、このお出かけ標語をまじめに口にするようになった。

この年齢になって、いまだに興味関心が拡散して、本読むことも考えることも取っ散らかっている。やるべきことがお留守になったりもする。そろそろ収束と店じまいにとりかからないいけないのに。それで、こちらの方にも標語をつくることにした。

まず、仕事。さえない職業人としての人生もあと少しで一区切りがつく。そこを煮詰めて何事かを引き出すのが、とりあえず優先順位として一番高い。

次は、言わずとしれた大井川流域思考。身体、自然、社会、歴史とフィールドに関わることは何でもありだ。

その次は、思想とか学問とかいうよりも、実際に役立つ概念装置を手にしたいという欲望が強いから、理論という言葉がしっくりくる。

さらに、文芸。小説や詩歌。映画や演劇、マンガ、アニメも。読むこと観ることと書くこと。

最後にワタル。ハンデのある次男へのフォローが何よりも大切だ。このカテゴリーには、家族や家事なども入る。

今日は誕生日。これからは「仕事・大井川・理論・文芸・ワタル」の標語で、毎日を振り返っていこう。

 

 

 

『「行政」を変える!』 村尾伸尚 2004

村尾伸尚(1955-)は、長く夜の某ニュース番組のキャスター(2006-2018)を務めていた官僚OBだ。彼がかつて大蔵省を辞めて三重県知事選に出馬した経緯や、役所勤めをしながら行っていた市民運動、そこでの行政を中心とした国の在り方の改革プランを、熱く語っている本。

今再読しても、臨場感があって面白い。ただし、当時から経過した15年もの時間を思うと感慨深いものがある。

著者の原点である岐阜県総務部長時代の予算改革の目玉は、三つ。通常の部局別に課題別の視点を入れた予算の策定。公的関与についての考え方の明確化。節減予算への2分の1メリットシステム。行政改革のゴールを住民満足度の向上におき、情報公開を武器に関係団体等とのしがらみを整理していく。このためのキーワードは、「情報公開」「分かりやすい説明」「サービスの選択」になる。

あの頃は、1990年代から続く「改革」の時代だった。冷戦終結に続くグローバル化バブル崩壊後の経済低迷があって、実際に大きな世界と社会の変動が実感できたし、明確な指針がない中でも、何かを変えなければいけないという共通了解があった時代だったと思う。

著者が、消費者の反乱、納税者の反乱、市民・NPOの台頭、改革派首長の登場などを背景として主張する行政改革や社会変革の方向は間違っていなかっただろう。しかし、15年たって、変化した部分もあれば、ほとんど停滞しているように見える部分もある。全体としてみれば、思ったようには動いていないのではないか。

当時の理念が実態から遊離してややうわすべりしていたところもあれば、当時勘案されていなかった要因がおおきくクローズアップされてきたところもあるだろう。それらを振り返るためにも、この本の議論は依然として重要だと思う。

 

  

 

 

 

どぶ板を踏む/沈下橋を渡る

今の職場の昼休みの散歩コースはバラエティに富んでいる。しばらく、裏の丘陵の中や周囲の自然の多い道を歩いていた。大きな岩をまつった神社や、古墳が森の中に出現したりして、変化あり起伏ありで面白い。人にも会わないから、大声で詩など暗唱して歩いていた。

近ごろ反対側の街中を歩いてみたが、じきに大きな河川にでる。その向こう側には古くからの繁華街があってスナックが軒を連ねた路地がある。住宅と住宅との間の側溝の上を歩ける小道があって、そこに各家の裏口が面している。

文字通り「溝(どぶ)板を踏む」経験をして、なるほど、どぶ板選挙とかどぶ板営業とかは、こんな路地に入り込んで、一軒一軒裏口の戸を叩くのだろうと実感できた。

帰りは、大きな橋を使わず、広い河川敷を歩いて、そこに渡された簡素な沈下橋(ちんかばし)を渡る。水かさが増した時は、流れの下に沈んでしまうため、欄干も親柱もないコンクリートの丈夫な一枚板でできた橋だ。

急流の四万十川などでの生活用の橋というイメージであこがれていたが、河川敷の中州に渡るために架けられているのは意外だった。

昼休みのわずか30分くらいの散歩で、味わえる物事のふり幅はとんでもなく広い。

 

ツグミとシロハラと

大井川歩きの途中で、公園の日当たりのいいベンチに座ってみる。この公園では、子どもが小さかった頃、いっしょにサッカーボールをけって遊んだりしたことがあったのを思い出す。

夕日を浴びて、しばらく本を読むことができた。読書家のふりをしているが、実際は本を読むことに苦労することが多い。ファミレスを使うのも読まざるをえない環境に自分を追い込むためだ。家にいると、ボーっとしている時間が多い。寒くない日なら、公園もいいかもと思う。フィールドの人である自分にふさわしい場所かもしれない。

家に戻ると、近くに鳥の気配が。

近所の家のフェンスから、我が家のケヤキに飛び移ってきた鳥を見ると、ツグミだ。派手ではないか、赤茶色の柄で見分けることができる。ツグミは、この地域でも、最近、群れでいる姿を見かけるようになった。

もう一羽、同じくらいの大きさの鳥がケヤキに飛んできて、すぐにツグミが止まっている近くに戻っていった。こちらは褐色で地味だが、お腹の白さが妙に目立つときがある。シロハラだ。

ツグミシロハラも珍しい鳥ではないけれども、渡り鳥だから冬の風物詩ではある。我が家の玄関に、一羽ずつが代表で渡りの挨拶に来てくれることなんて、めったにあることじゃない。うれしかった。

 

 

おなごし(女子衆)さんの思い出

村チャコで会ったワタナベさんを、大井炭鉱の坑口跡に案内することになる。石炭を運んだ道や炭鉱夫の納屋のことなど、大声で説明しながら里山に入っていくと、藪の手間で「くくり罠注意」という表示がある。イノシシのハコ罠なら知っているが、くくり罠を見るのは初めて。仕掛けたのは、表示を見ると旧知のナガイさん。うっかりケガをしかねないので、坑口跡は断念する。

大井川沿いの道まで戻ると、突然、上から「炭鉱のこと良く知っているね」という声がかかる。見上げると、脚立の上で植木をいじっているおじさんだ。行きがけ、僕の説明する声が耳に入っていたのだろう。足をとめて、炭鉱の話をする。

大井炭鉱が終戦直後に掘られたのは、当時の炭鉱開発の補助金目当てで、近在の村でもあちこち声がかかっていたという情報は耳新しい。僕も、労務課長だったハセガワさんのお祖父さんのことや宇部興産のことなどを話す。

炭鉱の入り口近くに住むヨシダさんは、昭和12年生まれ。以前からお話をうかがいたいと思ってはいたが、偶然の出会い頼りの大井川歩き。ようやくご挨拶ができて、こんどゆっくりお話しを聞く約束をする。

ワタナベさんと別れ、モズのはやにえを見るために、田んぼの中の農道を歩いていると、前から散歩中の人の姿が。よく見ると、亡くなったムツコさんの息子さんのリキマルさんだ。挨拶すると「今日は暖かいですね」と一言返してくれる。

フレンドリーな雰囲気に甘えて、少し立ち話をする。多礼で出会ったキヨミさんから聞いた力丸家の奉公人の話が聞きたかったのだ。

リキマルさんは三人の名前をあげて、「おなごしさん」と呼んだ。おそらく「女子衆・おなごしゅう」のことだろう。辞書にも、女中の意味が出ている。

当時は、鹿児島から奉公に来て、お嫁に出す世話までしていたという。キヨミさんの話の通り、ナガイさんのお嫁さんも力丸家のおなごしさんだった。大島にお嫁に行って、今でもお付き合いのある人がいるという。

リキマルさんも懐かしそうだ。子どものころから家にいた女子衆のお姉さんたちは、きっと特別に思い出深い存在なのだろう。

 

 

モズのはやにえ(続報)

念願のモズのはやにえを見つけて、僕のことだから周囲の人に話しまくった。それは一方的な自慢に過ぎなかったけれども、それでも人に話すのは、双方向的なコミュニケーションのきっかけになる。いくつかの発見があった。

当然ながら、モズのはやにえを誰もが知っているわけではない。言葉では何となく知っていても、僕のように見たことのない人が一般的だ。見たことあるという人は、自宅の庭がはやにえが作られる環境にある人だ。

自宅の庭なら、始終見続けている。はやにえのようなささいな異変にも気づくだろう。ヤモリが枝に刺さっているのを、誰かからの嫌がらせだと思っている人もいた。だとしたら、ずいぶんスケールの小さな嫌がらせだが。

番役に立った指摘は、はやにえがどうなるか見続けたらいいですね、というアドバイスだ。はやにえを見つけたうれしさのあまり、経過観察という発想には至らなかったのだ。

それで一週間後、発見の場所を再訪する。行く途中、もっと小さな鉄条網の有刺鉄線にもカエルが干からびているのを見つける。見つけ方のコツをつかんだら、こっちのものだ。

現場に到着して真っ先に、バッタのはやにえが無くなっているのに気づく。干からびたカエル二匹とトンボの残骸は無事だった。バッタはまだ緑色で新しかった。モズが食べたと考えるのが普通だろう。新たな発見に、心を躍らせてもと来た道を引き返す。

 

ハシビロガモの勤勉

冬を迎えて、近所のため池や川にいろいろなカモが姿を見せるようになると、今年こそカモ類も見分けられるようになりたいと、一時は考える。水辺で無防備に特徴のある姿をさらしている水鳥の種類がわからなくては、バードウォッチャーを名乗るのが恥ずかしいからだ。

しかし今に至るまで、興味が続いたためしがない。きっと、子どものお風呂のオモチャのアヒルみたいな、あのルックスが受けつけないのだ。野山の鳥たちのスマートなスタイルを見よ。

ところで、先日、近所の長浦池で、おかしな動きをしているカモを見つけた。少し潜っては水面に姿を現し、また潜る、という動きを飽きもせずに繰り返しているのだ。カイツブリみたいな達者な潜水ではない。体色は地味な灰色で一見してメスだが、くちばしがへらのように幅広く長い。

何日かあと、今度は池ノ谷池で、同じメスらしき一羽を見つけた。何らかの理由で群れから離れているのだろう。今度は首を伸ばし、くちばしを水面近くに少し沈めた姿勢で、旋回しながら泳いでいるのだ。波紋が小刻みに揺れているところを見ると、くちばしをパクパクと動かしているみたいだ。今度も同じ動作を飽きもせずに続けている。

図鑑で見ると、ハシビロガモだとすぐわかった。くちばしが広いという姿そのままの名前だ。たいていのカモ類は、ぼーっと浮かんでいたり、気まぐれに泳いだりしているみたいだが、ハシビロガモは勤勉で頑固一徹な職人みたいに、同じ仕草を繰り返す。

プランクトンという微小なものをエサとしているために、必要な栄養価を取るためには、休むことなく採餌しつづけないといけないのかもしれない。

こんな個性的なカモとの出会いをきっかけにしたら、今年こそは水鳥の世界に入門できるのではないかと期待してしまう。

 

 

『歩いて読みとく地域デザイン』 山納洋 2019

著者は「まち観察企画」というワークショップを主宰している。参加者は特定のまちを90分間自由に歩いて、再集合したあとそれぞれの見聞をシェアするというものだ。案内しないまち歩きであり、自分で観察し発見するまち歩きであるといえる。

本書では、まち歩きのための様々な「まちヨミのリテラシー」を紹介してくれる。「芝居を観るようにまちを観る」というイメージも共感できるし、そのためにまちの中にある「葛藤」、相反する二つの力に注目するという方法論も的確だ。まちに埋め込まれた伏線や力学を読み取るために、まちの登場人物(住民)が語るセリフに耳をすませるという姿勢もいい。

都市計画、建築、土木工学、産業地理学等にまたがる知識を「まちヨミ」の視点でまとめた類書はないと著者が自負するとおりの目配りの広さで、読み始めは、ちょっととんでもない本を手にいれてしまったのではないか、という気さえした。

ただ読み進めていくうちに、これらはまち歩きの成果物であり、自ら発見しないと面白くはない、という当たり前の事実に気づくことになった。網羅的なまちのパターンの紹介というのは、街歩きによる観察の面白さ自体を示すには、あまりふさわしくないのかもしれない。

芝居通になって、芝居に関する知識やパターンを熟知することは、かえって純粋に芝居を楽しむことを遠ざけてしまうこともあるだろう。著者のねらいも、読むための本というより、まち歩きのための手引きというところにあるようだ。

僕自身は、あちこちの任意のまちではなく、自分が住んでいる地域に限定してまち歩きとまちヨミを続けている。その分、山や川、生物等の自然界にも目を向けているが、人間界については視野が狭くなりがちだ。それを補うために、本書を活用してみたいと思う。