大井川通信

大井川あたりの事ども

小ネタが尽きると、あっという間に地域は衰退する

新聞連載の「折々のことば」に紹介されていた、玄田有史と荒木一男の言葉。「人口が減っても、地域は簡単になくならない。だが、」のあとに表題の言葉が続く。

鷲田清一の解説はこうだ。

「東大社会科学研究所で〈危機対応学〉プロジェクトを推進した二人は、その中でこの『仮説』を得た。地域には突発的・段階的・慢性的など複層の危機が併存する。必要なのは一発勝負の大改革でなく、日々の生活に潜む、無理のない、でもちょっと楽しい、そんな手がかりの集積だと。東大社研ほか編『地域の危機・釜石の対応』から」

なるほど、と深くうなずいてしまった。

まず、ネタとは何か。それは誰かの手によって加工された情報と定義できるかもしれない。ネタには材料がいるけれども、その材料を使って、面白かったり魅力的だったりするように作られた情報がネタだ。その加工の目的は、別の誰かを楽しませることだろう。

だからネタがあるということは、最低限、作り手と受け手という二人の人間の関係があるということだ。ネタの魅力に応じて、それはもっと多くの人に開かれている。人をひきつける磁石みたいなものだ。

ネタが尽きるということは、そこに多数の人が存在するとしても、そこに新しいつながりや関係がもはや生まれないということなのだろう。それは地域の死を意味する。

僕の大井川歩きも、近所でネタを拾い集めて、それをいろいろ加工してささやかな発信をしていることになる。地域の延命に少しは貢献しているのかもしれない。

反省したのは、他者のやっている小ネタに対しては、シニカルな視線を向けてしまいがちだったことである。自分のことを棚にあげて、ついついその効果や成果から過小評価していたのだ。

地域に小ネタがあること、小ネタが連発されること自体に意味があると気づかされた。

『日本の歴史的建造物』 光井渉 2021

面白かった。とても面白かった。すみからすみまで勉強になった。僕の読書は、どこか 勉強のために無理しているところがある。生来怠け者だから、読書や勉強が楽しいというわけではないのだ。ただし、(古)建築にかかわる良書だけは、純粋に楽しみとして手に取ることができる。(その割には、この分野でも積読が多いのだけれど)

どこがそんなに面白いのか。今までのこの分野の一般書は、古建築の構造や歴史の解説本だった。あるいは民家や近代建築やモダニズムの建築への入門書だった。それはそれで面白く役にたったのだが、専門家による対象の客観的な解明というスタンスは不変だった。

ところが、この本は、そういう古建築を見る視線自体が歴史的に生成してきたもので、その視線の生成に伴って古建築という対象自体も発見されたものであることを描き出している。建築の歴史を跡付ける視線。どんな建築に価値を見出し、どんなふうにそれを保存するのかという手法。それらは建築本体の歴史よりもずっと新しく、近代になって現れて発展してきたものなのだ。しかも、街並みの保存という新しい分野では、まさに現在進行形である。

著者はいう。「歴史的建造物という存在を発見したのも、それを破壊したのも保存したのも、全て近代という時代の現象ということができる」

この歴史的建造物の発見と保存の物語のなかでは、大岡實(1900-1987)や太田博太郎(1912-2007)などの古建築研究の泰斗たちが、ドラマの登場人物として役割を担って活躍する。子どもの頃から彼らの本を憧れをもって読んできた僕には、これもたまらなかった。

 

りぼんちゃんの手術

りぼんちゃんが去勢手術をした。

お腹の毛をそっているから、傷口の回りは薄いピンクの肌が露出している。皮膚はすべすべで柔らかい。獣医さんが包帯を巻いてくれたが、すぐにずれてしまう。翌日には、傷を舐めないための襟巻(エリザベスカラー)を買ってきてつけたが、何かと不便そうだ。やがて毛糸の腹巻だけになった。

術後は安静だから、九太郎と遊ばせるわけにいかない。それで飼い始めたときに暮らした二階の僕の寝室(4畳の和室)に閉じ込めることにした。すると猫たちに変化が起きた。

まず、九太郎が落ち着いて元の穏やかな猫に戻ったのだ。りぼんちゃんががんがん九太郎の暮らしに侵入してきたことが、彼には相当なストレスだったのだろう。まるでギャングみたいな神経質な顔になったと家族で話していたが、憑き物が落ちたようにもとの表情に戻った。

りぼんちゃんは、僕との狭い部屋での暮らしが始まって、すっかり僕になついた。というより、いっしょに寝起きするなかで、僕の方がめろめろになってしまったということだ。

こうして一週間くらい一階と二階とでの別居生活をさせたあとに、ふたたび二匹の顔合わせをする。もとのひとり暮らしに戻って安心していた九太郎は、またすごい顔をして威嚇するようになってしまった。やれやれ。顔合わせの時間を短くして、また一から慣らしていかないといけない。りぼんちゃんの方は九太郎にすごまれても意に介さずに、平気で九太郎のゲージの入ったり、エサを横取りしたりしているのであるが。

 

10年間日記をつけるとひとかどの人物になれる

英語の名言集みたいなものを読んでいたら、この言葉に出くわして、思わずにんまりした。原文は、Keeping a diary for ten years makes you somebody.

今年ちょうど10年連続日記の最終年をつけている。この言葉通りなら、そろそろ僕もひとかどの人物になっているはずだろう。

こんなに長期間継続して日記をつけたのは、人生で初めてだ。だからこの名言の言わんとするところは、なんとなくわかる。日記で毎日をふりかえる。一日を反省し、その評価に基づいて翌日を構想する。そういう毎日の生活のマネジメントを続けることになる。日記は時々は読みかえすから、もう少し長期的な振り返りの機会ともなる。

しかも、日記は書くものだ。書くことは、話すのとは違う次元で論理的に言葉をつなげる思考の訓練になる。しょせん言葉の組み立てで出来ている人間の世界のなかで、言葉と思考に習熟することの意味は大きい。

ところが、日記の効用は、この名言通りには僕には作用していないだろう。それにはいくつか思い当たることがある。

僕のつけているのは10年連続日記だから、一日の記入欄はわずか三行だ。しかも毎日書くのではなく、数週間分をまとめて手帳のメモの内容を転記するなんてざらだ。日々を振り返り論理的に書くことが日記のご利益のモトであるなら、僕の日記にそれが薄いのは仕方ないだろう。

それからもう一つ。人生の名言というものは、だいたいそれを求める若い人向けではないのか。20歳とかせいぜい30歳の人にとって、10年間の比重は大きいし、それは人生の青春期や充実期に該当する。彼らの倍は生きている僕の中年以降の10年は、この名言が想定している10年の重みはないのだと思う。

そういえば、高校時代の日本史の先生が、僕のクラスの卒業アルバムにこんな言葉を書いてくれたのを思い出す。今から10年間とにかく一つのことをやり続けること。

いろいろ手遅れには違いないが、僕は来年には新しい10年連続日記を書き始めるつもりだ。

 

 

 

 

横超忌に『吉本隆明歳時記』を読む

今日で吉本隆明が亡くなって9年がたつ。調べると、吉本の忌日は横超忌というのだそうだ。手元にある一番薄い文庫本を取り出して読んでみる。

久しぶりに吉本の本を読みながら、ああ吉本節だと思いながら、この文体がいっそう遠く感じられた。きちんと理解しようとしても、あいまいな比喩でしか思考の過程やその結論が描かれないので、雰囲気で了解するしか方法がない。

吉本自身がそうなのだから、吉本から影響を受けた世代の文体などは、もっと悲惨なことになる。彼らの多くが議論の場などで、自分の思いを一方的にまくしたてるだけだったのは、この文体の構造が原因だったのかもしれない。稚拙でかっこ悪くてもいいから、自分が確かに分かったことと分からないことととの区別をしっかりつけて書くべきだし、書いていきたいとあらためて思う。

ただこの本は、吉本自身が愛好する詩人についてのエッセイなので、特別な理解と愛情が背景にあるから、吉本のあいまいな比喩が対象と自然に絡まり合って、心地よく読めるところがある。かつて僕も好きだった立原道造の詩についてなど、なるほどそうだと感覚的に思えるところがある。

もう一つ。僕も今の年齢になって、自分自身を遠目に見ることができるようになった。すると、戦中派という特異な世代に育てられたという経験が、くっきりと浮き上がってくる。戦中派をどう理解するか。彼らから何を受け取って、何を伝えるかが、考えるべきテーマに思えてくる。父親と同年生まれの吉本についても、過去の読書経験として捨てておくわけにはいかない。

 

『社会的共通資本』 宇沢弘文 2000

柄谷の本で紹介されていたので、この著名な著者の本を手にとってみる。新書の体裁だけれども、経済学の大御所だから、とてもシンプルなテーゼを正攻法で論じていく。

繰り返されるテーゼは、言われてみればきわめてまっとうなものに思えるのだが、経済学や世間の常識には反している。だからそれを実際に社会に当てはめて考えてみると、大きな射程をもっていることに気づく。

社会的共通資本(Social Common Capital)とは「一つの国ないし地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置」と定義される。

この社会的共通資本は、大気・水・土壌・森林・河川・海洋などの「自然環境」、道路・上下水道・電力などの「社会的インフラストラクチャー」、教育・医療・金融・行政などの「制度資本」の三つにわけて考えることができる。

大きなポイントは、この社会的共通資本は、国家による官僚的な統制や、利潤追求の市場的な管理によるのではなく、社会的に管理(専門的知見と職業的規範に従った専門家による管理)されなければならないという点だ。今はやりの民営化や市場化でも、政治主導でもない第三の道である。

専門家による管理が万全であるわけではないが、政治家の功名や国民の世論の動向に左右されたり、企業の利潤追求の機会にされたりするよりは、安定的な運営が可能だろう。社会的共通資本は、その定義からして国家や市場の手段や道具になるものではなくて、国家や市場とは対等以上のそれ自身の存続が目的となるべきものなのだ。

本書の中では、あるべき農村や都市の姿それ自体が、社会的共通資本として具体的に論じられているのが興味深い。地域丸ごとを大づかみにして価値づけるような視点がここにある。僕の大井川歩きにとっても、大切な手がかりとなる概念だと思う。

 

菜の花の河川敷にて

ヒバリがあがる。またヒバリがあがる。河川敷のあちこちの草地の上で、ヒバリたちは縄張り争いで忙しい。広い畑地のようにはめくるめく上空にはあがらず、(縄張りを見失わないように)低い空でしばらく鳴くと、すぐに下りてきてしまう。

河川敷はいつのまにか菜の花の黄色で塗りつぶされている。妻は菜の花を見るたびに、長男が生まれた時を思い出すという。初めての出産の時の世界の変貌が目に焼き付いているのだろう。今年も彼の誕生日がやってきたけれども、いつの間にかケーキも買わず、長男も友だちと遊んで深夜の帰宅だった。別件でのメールでは触れたけれども、お祝いの言葉を実際に口にすることはなかった。

菜の花の河川敷からは、石炭産業の繁栄の象徴だったボタ山が(すっかり緑に埋もれて角も取れてしまったが)くっきりと見えるし、遠く修験道の山が奇怪な山塊を見せてもいる。巨大なコンクリートの橋は、現代の土木技術の賜物だろう。

橋梁の下では、さかんにイワツバメが飛び交っている。腰の白い帯といくらかずんぐりした体形でそれとわかるが、普通のツバメが渡ってくるのは、もう少し先だ。草地ではまだツグミの姿が目に付くが、間もなく大陸に渡って姿を消してしまうだろう。

沈下橋を渡る。昨日の雨で水量は豊かだ。シラサギがももまで深く流れにひたして、エサをねらっている。今日は水鳥の姿は見えない。

夫婦が赤ちゃんを抱いて、菜の花の前に立っている。遅い子どもだったのか少し年配のカップルだ。祖母らしき人が、三人の姿をカメラに収めようとしている。乳母車からは何本かのチューブが伸びて、小柄な赤ちゃんの口元にまで届いている。

どんな子育ても大変だけれども、身体の弱い子どもへのケアは並大抵ではないだろう。ただ自然の美しさの前では誰もが平等になれる。

飽きっぽい僕は、少し前まで近代詩の名作を暗唱して歩いていたけれども、今日は英語学習用の短文を口頭で繰り返しながら、堤防の石段をあがった。



 

すた丼の呪い

スタミナ丼が、僕の唯一愛着のあるB級グルメでありながら、嫌な思い出に付きまとわれていることは以前に書いた。この呪いは、今も解けてはいないらしい。

一昨年、今の地元にすた丼のチェーン店ができたのだが、喜びいさんで食べに行っても、本場の東京の味と微妙に違う。それでしばらく行かなかったのだが、久しぶりに食べに行くと、店員の腕も上がったのか思い出のすた丼の味になってはいた。だが・・・

まず初回。今はダイエット中なのだが、ミニすた丼では満足できない。それで「肉増し」の食券を買い、ご飯は少な目で、というと店員が妙な顔をする。出てきたのは、「ご飯大盛」のご飯を少なめにしたという意味不明のすた丼だった。老眼で、食券を買い間違えていたのだ。お肉が元の味に戻っていただけに、ご飯ばかりの多い丼は残念だった。

そこで翌週には、近場に用事があったので、今度こそリベンジしようとお店に駆け込んだ。肉増しの食券を間違いなく購入し、席に着いたときに、カバンの中がびちゃびちゃになっているのに気づいた。ペットボトルのお茶のふたをしっかり閉めていなかったのだ。

カバンの中身をテーブルに出して、トイレで底にたまったお茶を流し、お手拭きの紙で水分をぬぐう。席に戻ると、買ったばかりの本数冊(五千円相当)はダメになっていたが、少しぬれただけの本は、ナプキンでふいて、なんとか乾かそうとする。

こんな作業でバタバタしているときに、すた丼はやってきたが、情けなくて、とても味わうどころではなかったのだ。

  

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『即効マネジメント』 海老原嗣生 2016

副題は「部下をコントロールする黄金原則」。ちくま新書の一冊だが、研修でのわかりやすいレジュメのようなマニュアル本になっている。

組織を活性化させて、要は儲けるようにするためには、メンバーのやる気(内発的動機)が必要だ。モチベーション向上のためのサイクルは、「機会ー支援ー評価ー承認=報償」ということになるが、日本の組織に欠けているのは、「機会を与え、支援をする」というサイクルの前半部分である。

そのためのやり方は、「2w2R」と「三つのギリギリ」とに集約できる。できるかできないかのギリギリ①のラインで、本人の「活かし場」(経験を活かせる部分)②を残しつつ「逃げ場」③をなくすようにして、「機会」を与える。

「支援」はまず、What(何を)とWay(どのように、というコツのてほどき)とで丁寧に教え、そのあとReason(理由)を教えて、自分で考えて仕事ができるようにする。

やる気のメンテナンスのためには、部下を良く見て、たえず目標のステップを刻みなおし、「横の見通し」(周囲への役立ち)と「縦の見通し」(キャリアへの役立ち)をつけるようにする。

大きなステージにたどり着いたときには、Range(範囲:フェアゾーン)を示して自遊空間をつくり、仕事をまかせる。これでモチベーションのサイクルをつなげて回すことができるという。

著者は、リクルート出身の人事の専門家で、長男が就職活動の時に、何冊か読んで役に立った記憶がある。この本でも、マネジメントのエッセンスを抽出して提示しており、実地ですぐに役立つように書かれている。

日本的経営(キャリア構造)の本質は、このモチベーションサイクルの活用ということにあって、その誕生が意外と新しく(1950年代終わりから1970年代の前半)、欧米の経営理論も取り入れた創意工夫の賜物だったという指摘は興味深い。やはり、この国の活力の源は「雑種性」であり「習合」なのだろう。

 

夢野久作の忌日

今日は、東日本大震災から10年の日だけれども、最近、僕の高校の卒業式の日でもあったことを思い出した。学園紛争の「成果」でいろいろ自由だった高校で、人気投票で話をする教師が決まり、卒業生が立候補で勝手な話をするようなゆるい式だった。

また、今日は夢野久作の忌日であることも知ったので、角川文庫で復刊されたばかりの短編集『空を飛ぶパラソル』を読んでみる。久作の忌日には、特定の名称はないらしい。

「いなか、の、じけん」は、1928年から1930年に発表された掌編集で、今で言うショートショートにあたる。昭和初期の田舎の因習を背景に、猟奇的で凄惨、ときにユーモラスでもある事件が描かれている。読みながら、ふと、物語の舞台の多くが、地理的な説明から久作が農園を経営した福岡の郊外であることに気づいた。

農園があった唐原(とうのはる)には、僕も3年ばかり住んでいたことがある。今では、住宅が密集する住宅街だ。遠い昔のとんでもない田舎の物語と思って読んでいたが、創作要素が強いとはいえ、意外と足元の出来事だったのだ。地続きである今住む大井の戦前の様子もこんなふうだったのだろう、と想像しながら読んだ。

小説としては「キチガ〇獄」が圧倒的に面白かった。奇想天外なストーリーの魅力とともに、最後のどんでん返しとその余韻がいかにも久作らしい。小ドグラ・マグラといったところ。

「怪夢」という夢を舞台にしたショートストーリー集のなかの「硝子世界」のイメージが、群を抜いてよかった。「世界の涯の涯まで硝子(ガラス)で出来ている」都市での探偵からの犯人の逃走劇。すべてが透きとおっているから、どんな遠くても犯人の姿は見通せるのだ。

「玻璃の衣裳」を着た探偵のでてくる萩原朔太郎の詩『殺人事件』を連想する。「みよ、遠いさびしい大理石の歩道を、/曲者はいつさんにすべつてゆく。」