大井川通信

大井川あたりの事ども

2021-04-01から1ヶ月間の記事一覧

『二十億光年の孤独』を読む

谷川俊太郎(1931-)の名前を新聞などで見ると、その記事や作品から目をそらすのが習慣になっていた。詩集も何冊かもっていて、気に入った作品がないわけではないのだが、詩人といえば谷川俊太郎を出しておけばいい、あるいは、谷川の詩句ならなんでもあり…

「秋の西行」と「芭蕉のモチーフ」

加藤介春(1885-1946)は地元ゆかりの詩人で、たまたま古書店で見かけた『加藤介春全詩集』(1969)を手に入れた。戦前の詩壇ではそれなりの注目を受け、博多では新聞社で夢野久作の上司だったりもしたらしい。没後かなり経ってからの出版で、実際には代表…

長男への手紙

阿蘇は、どうですか。 たしか、〇〇をはじめてホテルに連れて行ったのが阿蘇で、(3歳の頃)寝ぼけて、朝、ここはどこだと不思議がっていたのが、懐かしく思い出されます。 そのあとも、阿蘇は家族で、少なくとも二、三回は行っているけど覚えているかな。 …

児童画との出会い

僕が新入社員の販売実習をしていた時、くたびれはてると、テリトリー内の公園のベンチを休憩所にしていた。常に周囲からセールスマンとして見られているという事だけでも重圧なのに、自らセールスマンとして積極的にふるまわなければならない。ノルマの圧力…

八ちゃんの命日

今日は八ちゃんの命日だから、切り花と魚の缶詰を買ってきて、「仏壇」に備えた。「仏壇」といっても、テレビ台の棚の一角に、八ちゃんの骨壺(きれいな布の袋に包まれ、八ちゃんの写真が貼られている)と、八ちゃんに見立てた猫のぬいぐるみが置かれたコー…

『田園の憂鬱』 佐藤春夫 1919

読書会の課題図書。近代文学の名作としては、珍しく共感できず、良いところをみつけるのに苦労する作品だった。作者とおぼしき男(青年らしいのだが、初老くらいの雰囲気)とその愛人(これも古女房みたい)とが武蔵野のはずれの古民家で始めた生活の記録で…

青葉の笛

老人ホーム「ひさの」の好さんを誘って、ヒラトモ様を案内する。 里山といえども、一人で登るのは怖いときがある。だから竹の杖をついて、イノシシ除けの笛を首にたらしているのだ。遠くで猟銃の音を聞こえると、間違えて撃たれたらどうしようと思ったりもす…

コロナの足音

昨年の今頃、新型コロナの感染防止ではじめての緊急事態宣言が出た時、感染者数の動向からその脅威はわかっていても、地方都市でなかなかそれを実感することはできなかった。通勤途中の山深い道で、おばあさんがマスクを着けて歩いているのを見て、少しこっ…

『子供の世界 子供の造形』 松岡宏明 2017

子どもの造形とその指導をめぐって、具体的に大きな見取り図が示される。その説明はやさしく納得のいくものだが、人間と表現に関する相当に射程の広い認識に届いている感じがする。まちがいなく良書だ。 著者は、まず大人と子どもの対比から議論を始める。そ…

我が家の屋敷神

【由緒】 大井の神様「ヒラトモ様」を信仰する主人の何某が、里山が荒れる一方で山道がふさがって参拝できなくなるのを恐れて、分霊を願った。ヒラトモ様の祠の近くの岩の欠片(もとはおそらく古墳の石材で、祠の岩と同種のもの)と奉納された木の根の一本を…

三浦小平二のぐい呑み

ネットオークションで、なんとか落札した「ぐい吞み」が届く。高価な陶芸品を買うなんてことは初めてだし、この先もないだろう。 「染付アフリカ風景」と箱書きされた小さなぐい呑みで、牛二頭と遠い山並み、流れる雲が青絵具で素朴なタッチで描かれているだ…

幼児の記憶

映写技師の吉田さんが勉強会の席上で、子どもの頃の思い出について、こんな話をしたことがあった。たしか吉田さんが交通事故にあったときのことなのだが、まるで自分の身体から抜け出して見ているような情景を記憶しているというのだ。 吉田さんは、いろいろ…

大井のマダムズトーク

筑豊名物のお菓子を手に入れることができたので、用山ツアーでお世話になった好さんの「ひさの」とアツコさんの家に差し入れにいく。 アツコさんの家では、ひろちゃんの奥さん(アツコさんのお母さん)がお友達のナガタさんとお茶会をしていて、誘われるまま…

コラムシフトの快楽

自宅の駐車場で車の車体をこすってしまい、修理工場の代車にしばらく乗ることになった。トヨタの何とかという車で、おそらくミニバンという車種の小さいものだろう。車内の空間が広々としていて、車高が高くのりやすい。 シフトレバーの位置が、運転席の隣の…

ツツジとフジ棚

菜の花と桜がすっかり終わって、まちを歩くと、ツツジの花が目立つようになった。 実家のあった国立には、かつて東京海上火災の計算センターがあって、歩道側の斜面にツツジが植えられていた。ツツジが咲き誇ると、毎年家族でそれを見に行った思い出がある。…

ヒーローを悼んで(1994.7.2 某高校新聞から)

F1のセナが逝った。 セナのレースをTVで熱心に見たのは、東京で塾の講師をしていた頃だった。もう二十代半ばだったが、周囲には学生アルバイトも多く、モラトリアムの気分に浸っていたように思う。 あの頃のセナは圧倒的に速く、レースへの集中力も群を抜い…

八王子の思い出

「八王子は決して武蔵野には入れられない」と国木田独歩は『武蔵野』に書いている。 子どもの頃の僕にも、八王子はどこか遠い場所だった。学校の遠足でたまに高尾山にでかけるくらいで、デパートでの買い物なら隣町の立川で十分だから、八王子まで足を伸ばす…

春のアゲハは小さい

今月になってから、何回か、アゲハチョウが飛ぶのを見かけた。どれも、おやっと思う程小さい。アゲハ特有の虎皮みたいな立派な模様はあるのだが、大きさがどうもものたりない。 昔から図鑑などで、アゲハなどの春型は夏型に比べて一回り小さいという知識はあ…

用山ガイド

大井のひろちゃんの娘さん(アツコさん)と「ひさの」の好さんを連れて、大井の隣村用山(もちやま)近辺の案内をする。 まずは、釈迦院不動から。古墳の石室の一部をホコラ代わりにして、ごつごつした岩の不動様が、障害者施設の入り口の森にひっそりとまつ…

木造市場の衰退

三年半ばかり前に現代美術展の会場となった筑豊市場に、ひさしぶりに寄ってみた。市場隣の老舗の喫茶店「らんぶる」で、モーニングを食べる目的もある。年配のご夫婦が、格安で甘い卵焼きのサンドイッチを出してくれるのだ。 僕は、商店街を舞台にしたアート…

大井で『武蔵野』を読む

大井貯水池の脇の公園で知人と待ち合わせている間に、ベンチで国木田独歩の『武蔵野』を読んだ。自分の生まれ育った武蔵野は、中学の頃からまち歩きをおこなった原点の土地だ。そのわりにこの高名な小説をちゃんと検討したことはない。 いざ読んでみると、独…

北風に人細り行き曲がり消え

『覚えておきたい虚子の名句200』から。 どうしても教科書やアンソロジーで知っていた句ばかりが目についてしまうのは、名句としてのパワーと味わってきた経験の蓄積があるから、仕方ないのだろう。 その中で、初読ながら、ガツンとやられた句。 北風の中を…

低山の恐怖

前々回は、水落山登頂の成功し、前回は迷ったものの何とか高松山に登頂できた。できればこの二つの低山の間の縦走をしてみたい。最初の水落山登山の時にもそれを試みて二つくらいのピークをたどって、竹林の密集した谷の前で断念している。 高松山で迷ったと…

虚子名句二題

一年半ばかり前、日本近代文学会の企画展で、近代詩人たちの自作朗読を聞く機会があった。急ぎ足での訪問だったので、じっくりとは聞けなかったが、やはり朔太郎の声には感激した。初老のやんちゃなオジサン風なのがいかにも朔太郎らしかった。 三好達治の「…

駅舎の椅子

ようやく国立駅の駅舎も駅前ロータリーに復元されたようだが、コロナ禍で東京に行く機会もなくなったので、まだ目にしていない。ただ、復元途中の様子から、実際の駅舎として使われるのではなく「文化財」として保存・活用された建物は、気の抜けたハリボテ…

こんな夢をみた(皮膚が波打つ)

突然、僕の身体に異変がおこる。 身体の内側で、ボール状の異物が動き回り、皮膚がボコボコと波打ち始めたのだ。足から腹へ、腹から胸へ。 SF映画で、エイリアンの子どもが体内に入り込んで、皮膚を突き破って出てこようとするシーンがあるが、ちょうどあん…

高校の事務室で

読書会仲間のGさんと話していて、彼の出身校の話題になった。近隣の名門校で、入学時期を 聞いてみると、どうやら僕がその学校の事務室で働いでいた頃のようだ。もう30年近く前のことになる。そのことを告げると、彼の口から意外な言葉が飛び出した。あなた…

金亀子(こがねむし)擲(なげう)つ闇の深さかな

読書会で高浜虚子の句集を読む。やはり人口に膾炙した名句のいくつかに引き付けられる。教科書やアンソロジーで親しんできた付き合いの深さが、句の理解と関係してくるのかもしれない。その中でも、今回は、この一句が僕の中では圧倒的だった。漢字が難しく…

悲劇二題

近所の低山で山道に迷ったことを書いた。大井川歩きの原則を貫いているため、登山の後も重い足を引きずりながら、ボロボロになって家にようやくたどり着く。これはその直後の話。 遅い昼食を食べに行こうと、駐車場から車を出す。いつものように右方向へ。そ…

うその思い出

エイプリールフールに上手な嘘をついた思い出はない。特別な日にちを頼りにしなくとも、ふだんからいくらでも嘘をついているためかもしれない。嘘というよりホラというべきだろうが。 僕は、いつもスキがあれば人を笑わせようとしている。笑いをとるためには…